( あんず色のよすが )

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そのひとを呼び止めたのは、単純にわたしはすごく困っていたからだ。

この機会――助けてくれるかそうでないかはわからなかったし、どう助けてもらおうかも考えてはいなかった。どちらかと言うと助けてくれなそうな気がしたけれど。――を逃してはいけないと思って。



去っていこうとするおおきな背中に「あの」と呼びかけると、ゆっくり止まって、それから中途半端に振り返った。

振り返ったときに一瞬、髪の毛が揺れて耳が見えた。その耳たぶにひっそりと付けられたちいさなシルバーのピアスも。



「あの…実は今日、鍵、忘れちゃって…、」



振り返ったそのひとはすこし眉をひそめる。「だから？」と言いたそうな、そんな顔で。



「…それで…どうすれば良いかわからなくて…ママ、今日は出かけてからそのまま仕事だから連絡もつかなくって……」



もう、しどろもどろ。だって、なにしろ、自分でもこのひとにどうしてほしいのかが明確にわからないのだから。

助けを請うような目で見上げると、あまり表情を変えず、


「それは、困ったな。」


と、言った。


まるで、他人事だ。他人事で間違いはないんだろうけど、メンドくさいと思われているのがひしひしと伝わってきてわたしは更に焦ってしまう。



「いつ帰ってくんの？ママは。」


威圧的なわけではないけれどやさしいようにも思えない。助けを求めてしまったことにわたしは後悔しはじめていた。



「…夜、です。」


朝方まで、とは言えなくてぎこちなくそう言うと、


「夜って、何時？」


すこし急かすようにそう訊いてくる。


「……7時半、くらいです。」


それは嘘で、正確には7時半から仕事なんだけれど、その頃には一度くらい、携帯を見てくれるのではないかと思う。たぶん。願わくば。



でもやっぱり、だいじょぶです。


そうやって言おうとしたのよりすこし前に、向こうが口を開いた。



「いいよ別に。俺でええならそのくらいの時間までなら一緒に暇つぶしてあげても。」



ちょっとつめたいようにも見える、綺麗に整った顔はわたしをじっと見て、そう言った。






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