すべてはキミに恋するため

モラトリアム ページ40

エレベーターに乗って、ジャケットのポケットに捩じ込まれたままのニット帽を取り出して深めに被る。


「……あ、バイバイって、言わなかったな。」


閉まるドアの隙間から、部屋の明かりが細く漏れて、その向こうに消えていく姿を思い起こす。

少し呆れたような、少し寂しそうな、そんな気がした。




Aちゃん。




優しくて、お節介な、お隣さん。


たぶん、
強がりで、負けず嫌いな、お姉さん。


きっと、
寂しがりやで、甘え下手な、女の子。




キミの部屋で過ごした、わずかな時間は、オレの中に、キミの存在を強く残した。




エレベーターのドアが開いて、夜の空気が入り込む。

深夜の静まり返るエントランスは、無駄に明るくて、大きな自動扉の向こうは、闇。

冷たい雨が降り続く空。


「さっみーなー。」


自分の声とともに、白い息が舞う。

借りた傘を空に向け、張り付いたビニールを剥がすようにゆっくりと開く。
その中で空を見上げれば、無数の雨粒が当たって、流れていく。




冷えていく指先。




現実は、こっちだ。







キミの部屋は、モラトリアム。







「…………A。」







雨の音に紛れて呼んだキミの名前は、ぎこちなく、キミに届くことはない。



キミは、キミで。

オレは、『ニカ』。



偶然が生んだ出会いに、感謝すべきか、この出会いを後悔すべきか、まだ、わからない。

はねる雨粒に、足元が濡れるのを気にせず、ミツが待つコンビニまで走った。






雨に濡れる見慣れた車の助手席の窓をノックすると、ロックが外れる音がした。


「ごめんごめん。」

「おっせーよ。」


傘を閉じて乗り込むと、さっそく文句が飛んでくる。

念のため、ポケットの中の鍵を、より一層奥へと押し込んでから、助手席に座り直すとハンドルにもたれるようにして、ミツがこっちを観察するように見ていた。


「な、なに？」


まさか、……もう、気づかれた？


冷静を装って、目を合わせると、何か企むみたいに、片方の口角をニヤリと上げて「何も。」って、言った。


「いや、マジで、まいったわー。」


大袈裟くらいにそう言って、ポケットの上から鍵を撫でる。




貫き通す嘘は、真実になる。




……と、信じて。

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