吾、忠誠故に國家逆襲致し候

第二十二波 ページ23

――衆議院選挙当日
そんな騒ぎとは対照的に、投票所の中には張り詰めた緊張感が漂っていた。候補者の名前を紙に書き終えた男たちは、鋭い視線を向ける役人らに小さく会釈をし投票箱の中に用紙を入れていく。投票所は、普段の選挙と比べても明らかに混み合っているようだった。

一方、その頃。浅野らの集まっている党事務所は、投票所ともまた違った緊迫感に満たされていた。
「首相、お茶を持って参りました」
遠慮気味に声をかけた片岡に、浅野は「御苦労」とだけ短く答える。
「片岡」
それ以上話しかけることもできず、少し沈んだ様子で戻ろうとしていた片岡は、呼び止める声に足を止めた。
「大石大尉殿、何か」
「いや、…」
少し言い淀むような様子を見せてから、大石は心を決めたように言った。
「徳川長官の噂を知っているか」
片岡は、それを聞き僅かに表情を硬くする。
「は、聞き及んでおります。しかし、徳川長官は此れまで常に政治の争いから距離を取り、軍としての中立を保ってこられた方であります。我らを撹乱する為の単なる噂に過ぎぬと思っておりますが」
「うむ、そう、だな」
片岡の言葉に頷いた大石は、まだ何か言いたげであったがそれ以上何も言わず、片岡は一礼してその場を去った。

軍は、常に天皇の下他の如何なる権力とも癒着する事は許されない。よって、軍出身者であろうと内閣総理大臣は軍に対し指揮権を持つことはない。ただし、内閣と軍部のあいだには海軍大臣、陸軍大臣のそれぞれによって相互に連絡、協力する関係が築かれていた。

…もしも、その軍の総司令官である徳川のあの噂が本当ならば。今まで均衡状態であった国内情勢が、或いは他国との関係さえも、大きく動く恐れがある。また、それがただの噂に過ぎなかったとしても、今軍の内部で政権への反発が高まっているのは事実である。

大石は心の中で大きくため息をついた。ただでさえ重い空気の漂う党事務所にこれ以上の影響を与えないよう注意を払っていたものの、首相の側近であり中隊長として党員を纏めている大石の不安は周囲に伝わり、更に空気を沈ませた。


「投票時間が終了しました。今から開票が始まります」
時計を見ていた1人の党員の声に、浅野の事務所は一瞬異常なほどの静寂に包まれる。しかし、すぐに嫌な気分を振り切るかのように明るい話し声が聞こえ始めた。


「国難突破解散、か」
1人執務室の椅子に凭れていた徳川は、壁にかかる数十年前の「軍神」の写真を見ながら呟いた。

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