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「お前さ、家に印鑑忘れてんだよ」
『え、うそ』
「本当。流石に捨てらんないから取りに来て」
『……うん』
「家の契約とかで必要かと思って連絡しようとしてたとこだったんだよ。」
私が飛び出して行ったんだから、なくても自業自得なのに、そういうところは優しいんだ。
あの日、別れると言って出ていった私のことは追いかけないし連絡もなしなのに、印鑑の連絡はしようとしてたんだ。
この人のこと、何年経っても掴めないや。
「……まぁ男引っ掛けてんなら使わないだろうけど」
『引っ掛けてなんかいない』
「じゃあさっきの鍵がなんちゃらって話なに」
『それは……』
「それ、早く飲めよ。外で話そう」
『海人に話すことなんてない』
「いいから」
『……わかった』
生クリームがのっているカフェオレ。
コーヒーの香りも良くて甘くて美味しいはずなのに、今日は何も感じない。
またお店の雰囲気悪くしちゃうかもしれないから、早く出ないと。
『松倉さん、鍵お返しします』
「あ、うん。気をつけて」
鍵を手渡すと、海人は私の腕を引っ張ってお店を出ようとする。
「行くぞ」
『まってよ、お会計まだ』
「Aの分も置いてきた」
お店を出る瞬間に振り返ると、松倉さんが困ったような表情をしていたのが見えた。
また迷惑かけちゃったかな。
海人に腕を掴まれたまま数日前まで住んでいた家の前に着くと、なんだか腰が引ける。
「入れよ」
『……ごめん、ここで待ってるから持ってきてほしい』
「なんで?入りなよ」
『もう私の家じゃないし、なんだか入っちゃいけない気がする』
「別に俺何もしないって」
『でも、』
「いいから」
ドアを開けて、海人が掴んできていた腕を引っ張られて家に入ってしまった。
引っ張られた勢いのまま抱きしめられる。
『……何もしないって言ったじゃん』
「ごめん」
『何に対してのごめん?』
「今の状況も、別れる原因を作っちゃったことも」
『今更そんなこと言われても困る』
「これ、見てよ」
少し抱きしめられている力が緩んで、顔を上げて部屋を見渡す。
脱ぎっぱなしの靴が散乱した玄関。
廊下に置かれた、宅配便が来たであろうダンボールの山。
廊下からリビングまでの間のドアは開いたまま。
ソファーの背もたれに服が沢山かかっている。
……これ、全部私が片付けていたもの。
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作者名:愛生 | 作成日時:2022年9月25日 18時