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『…今日は、貴方のリクエストにお応えしますよ。』
そんな気分だっただけだ。
楽譜の詰め込まれた鞄は用無しとなり、どさりと床に置かれた。
何も言わぬ零の方を見ると、紅い瞳を見開いて、唖然とした様子である。
少女の言うことを信じられない、というような顔で微動だにしない。
漸く時が追いついたのか、手を口元にあてながら
最早怯えていると言われても仕方が無い位に動揺している。
零は少々大袈裟に感情を表現しようとする節がある為、慣れてはいるが。
そうして零は少女の放った言葉をたどたどしく復唱した。
「我輩の、りくえすと…？」
本当に信用されていないのだろうか、と不安になる部分もあるが少女は答えの出ない零に対して
『無ければ、良いんです。野暮な事を聞いてすみませんでした…。用無しになった鞄が用有りになったのでお気になさらずに。』
と淡々と話を終わらせ、用無しとなったはずの鞄を持ち上げて中から楽譜を取り出した。
それを見て慌てた零が少女を止める。
「ま、待つのじゃ待つのじゃ。嬢ちゃんが我輩にそう言ってくれるのが嬉しくて、ついなぁ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて一つ弾いてもらうとしよう。」
そう言って零は珍しく持ってきていた鞄の中から年季の入ったファイルを取り出した。
何だか嫌な予感もした、でも反対に過去に胸を擽られるような、そんな微かな希望もあった。
また昔に触れられる気がして。
零が少女に渡したのは、少女が予想していた通りの代物だった。
それはまだUNDEADが結成される前、デッドマンズの時代に少女が零の前で弾いた曲だった。
予想してはいたものの、これを取っておいていることに少女は驚いて、思わず零の顔を見た。
「意外そうな顔をしておるが、我輩にもセンチメンタリーな部分があるんじゃよ。」
そう言って笑顔を見せる。
零はいそいそとピアノ椅子に座る少女の様子を見ていた。
その後ろ姿や行動の端々に見える感情は、本人の意志とは裏腹に正直に出るもので
忘れたい、弾かないといった消極的な物よりも
もう一度弾きたい、もう一度。といった切望の意思が見て取れた。
それを互いに口に出さないのは、二人が不器用な証拠だった。
少女が楽譜を見て、息を吸い、ピアノを弾き始める。
懐かしさと切なさと、流れゆく旋律は様々な思いを駆け巡らせ、想起させる。
零はカウチから離れ、演奏する少女の隣に立ちその横顔を愛おしそうに、ただ見つめていた。
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作者名：黒凛蝶 | 作成日時：2022年6月14日 16時
