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「もうすぐ完熟でしょう?」
赤く染まりつつあるイチゴは艶があり、ヘタも緑で香り高い。
けれど玄師は、まだ熟していない緑のイチゴに触れる。
「城内さん、この未成熟のイチゴを頂きたくことは可能ですか?」
「え?
それを苺大福にするの?」
「是非そうさせて下さい」
弥恵は首を傾げながらも、緑のイチゴを掌いっぱいに摘んで玄師に託した。
「明日の朝、頂きに伺うわ」
「はい。
ご注文承りました」
上機嫌に手を振る弥恵に見送られ、玄師は帰路についた。
帰り着いた時には、閉店時刻が迫っていた。
ショーケースの中は既に空っぽで、しかしまだ真衣は帰り支度を済ませていなかった。
店の扉の前に立ったままの玄師を見つめ、身動きもしない。
「真衣さん、今日はもういいですよ」
玄師に促されても、真衣は動かない。
「真衣さん」
呼び掛けたけれど、躊躇って玄師は下を向いた。
じっと見つめ続ける真衣の視線に呼ばれたように顔を上げ、もう1度、玄師は口を開いた。
「明日、苺大福を作ります」
真衣は黙って頷くと、玄師の隣を通り抜け、帰って行った。
緑のイチゴの甘露煮を作る。
イチゴと砂糖を鍋に入れ、少し水分が出たところで弱火で炊く。
アクが出たら掬い、水気が無くなったら火から下ろす。
あとはいつもの大福の下ごしらえをし、準備は終わった。
玄師は溜息を吐くと窓から空を見上げる。
まだ満ちていない、不安定な月が昇っていた。
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「美味しいわ」
イートインスペースの椅子に座って苺大福を口にした弥恵は、笑顔で感想を述べた。
「未熟なイチゴを使うって言うから心配だったんだけど、凄く美味しいわ。
甘露煮なのに、酸味が爽やかで甘ったるくないのね。
食べたことないお味」
弥恵は美味しい美味しいと繰り返し、注文していた苺大福を手に帰って行った。
玄師は厨房から顔を出さず、終始真衣が接客した。
好評を玄師に伝えようと厨房に顔を出すと、玄師は餅米を木桶に入れていた。
「玄師さん、今から何か作るんですか?」
「せっかくだから金柑大福も作ろうかと思って」
その声が明るくいつも通りで、真衣はほっと胸を撫で下ろした。
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作者名:井原 x他1人 | 作成日時:2020年6月14日 11時