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「美菜子は俺に、和菓子の作り方を教えてくれた人だ。
俺が祖父からこの店を継いだ時、俺はまだ若くて、店を1人で・・・俺の洋菓子だけでやっていく自信がなかった。
だから和菓子を担当してくれる人を雇ったんだ」
玄師は普段閉め切っている戸棚を開けてみせた。
そこには蒸し器や小さな臼や焼印などの、和菓子道具が揃っていた。
「美菜子の夢は世界中を回って、ありとあらゆるお菓子を食べて、それを再現することだった。
その夢のためにお金を貯めて、もう少しで行けるところだったんだ。
5年前・・・事故だった。
俺が運転していた車に、ダンプが突っ込んできた。
美菜子は頭を強く打って、意識が戻らないまま亡くなった」
玄師は握りしめていた拳を開き、掌を見つめる。
「だから美菜子の夢の1つは叶わないまま終わった。
それに俺は、もう1つの夢を叶えてやることもできない」
「もしかして・・・美菜子さんのもう1つの夢が、どこにもないお菓子を作ることだったんですか?」
玄師はゆっくりと頷く。
真衣は玄師がいつもより幼くなったような、それなのに疲れ果てて老いたような、そんな表情をしている。
玄師は美菜子が使っていた和菓子用具を見つめる。
その目は暗く、過去だけを見ていた。
彼は戸棚の扉に手をかけて、けれどその戸を閉めることができないでいた。
玄師の影がタイル張りの床に、黒くわだかまっている。
真衣は玄師の目を今に引き戻したくて、力強く戸棚を閉めた。
「作りましょう!
作りましょう玄師さん!
美菜子さんの夢、今から全部叶えましょう」
真衣の手から、玄師は顔を背ける、
しかし真衣は玄師の腕に縋り付く。
「そんな事をしても、もう美菜子はいない」
真衣は必死に首を振る。
玄師の腕を握る真衣の手は温かく、まるで玄師を包み込むかのようだった。
真衣はまっすぐに玄師の視線をとらえた。
「美菜子さんは、玄師さんの中にいます。
玄師さんの中で生きています。
美菜子さんの夢だって、もう玄師さんの夢になっちゃったんじゃないですか?
だって玄師さん、お菓子を作る時、凄く生き生きしてる。
新しいお菓子に挑戦する時、ワクワクしてる」
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作者名:井原 x他1人 | 作成日時:2020年6月14日 11時