Zion最後の日1 ページ16
きい、と扉を開けると、遅かったね、と顎髭からの声。カウンターにはウイスキーに水に炭酸水、トニックウォーター。ドライフルーツやアンチョビなどのつまみも揃っている。
準備は万端というわけだ。
眼鏡は顎髭の隣に座り、カウンターの向こうに佇むマスターを見上げた。
「マスターのおすすめを頼む」
「かしこまりました」
こうして、Zion最後の日が幕を開けた。
数日前のことである。
Zionにはやはり、顎髭と眼鏡しか来なかった。これ以上の来客は見込めない。
いくら二人が景気よく飲んでいってくれたとしても、Zionを店として回すのには限界がある。
薄々気づいていたが、マスターは切り出さずにいた。Zionは眼鏡と顎髭にとって、かけがえのない場所となっているのは、マスターも知るところだったからだ。
最後まで居着いてくれる客を、最後までもてなしたい。ただ、その「最後」をいつか決めてしまうことができなかった。
優柔不断とはわかっているが、マスターとて、この店に愛着がないわけではないのだ。
というわけで、二人に思い切って相談することにした。
「別に、土地を誰かに返さなきゃならないわけじゃないでしょ? 店の看板だけ仕舞って、あとは僕らでだらだら飲むのもありだと思うけどねえ」
顎髭はそう言ったが、それはないだろう、とクリームチーズの乗ったクラッカーを食べながら、眼鏡が指摘する。
「店としての経営を終えたらそれなりの手続きを踏まなきゃならん。そこを有耶無耶にしてどうするんだ、元公務員」
まったくである。
顎髭がぐうの音も出なくなったところで、眼鏡がぼそりと提案した。
「この店の開店記念日に閉店するというのはどうだ?」
「君にしちゃ気の利いた提案だねえ」
顎髭がトニックウォーターをずっと飲む。
「誕生日に死ぬみたいな?」
「ろくでもない例えをするな。単に、役所手続きの節目にするには日付が遠いというだけだ」
「ですが、開店記念日がいつか、なんて、私でも把握しておりませんが……」
マスターの指摘はもっともである。開店記念日がわからなければ意味のない話だ。
この店は改まってそういうことをしてきたわけではないし、マスターも継ぐときにそのような話は聞いていなかった。
眼鏡は、ウイスキーで舌を湿らせてから答える。
「俺が年に一度だけ、マスターのおすすめを頼むのは把握していたか?」
マスターはここ数十年の記憶を辿り、その数十年分、そういう注文があったのを思い出した。
「それが記念日だ」
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作者名：九JACK | 作成日時：2021年2月23日 7時
