百二十二話/過呼吸 ページ32
本を読むのが好きだった。
本に出てくる人物達と自己を重ねることで、自由になれる。
躰はたとえ縛り付けられていても、心は空を飛べる。
だから、Aは本が好きだ。
所謂普通の環境で過ごしてこなかったAの基盤は、本で得た知識となっていることが多い。
故に、その基盤が、普通が偏っていることをAは自覚していた。
世間一般の普通と同期出来るようするにはさぞ骨を折ることになるだろう。
｢まあ、そういうことでお願いは今日使うからよろしくね｣
｢今日！？今はもう夜ですけど……矢っ張り私にえーー｣
｢はーい！ストップ！君、此処がどこだか判ってるの！？私死んじゃう！｣
物理ではなく社会的に。そう、表情で示す太宰の懇願に、Aの動きが止まる。
止めてから、ゆるゆると周りを見回した。
見れば、今の太宰の大声で、多くの人が二人に注意を向けていた。
怪訝そうに、人によっては面白そうに口を歪めて。
ーー同期しない異物を排除する。
瞳に映る光景がAの中に潜む最も忌むべきモノと結びつく。視界が滲み、足下がぐらつく。
｢ーーぁ｣
置き去りにしてきた恐怖が、再発した。
｢え、ちょっと……Aちゃん？｣
ーー嫌だ。
男が顔を覗き込もうとする。視界から全てを消したい。
だから、座り込んで膝に顔を
｢は、ぁ｣
誰もAを介抱しないまま、とうとう正常な呼吸が出来なくなる。
息の吸い方が思い出せない。
過呼吸を抑えるためには、浅い呼吸を繰り返さず、深く吸うことが大事だ。そう、本で読んだことがあった。
しかし、その知識すらも今のAの前には無いに等しい。
｢も、無……は、っ｣
顔を上げていられない。冷や汗で顔に髪が張り付く。
そのまま、重力に従い膝を折るーー直前、
｢ーーごめ、ごめん……なさぃ｣
誰に云ったのか、自分でも判らない。
太宰か、Aのせいで不必要に騒がせてしまった周りの人か。
判ったことは、自分が座り込む直前で思い留まったということだけ。
急に現実と目が合った。視界に入れても苦にならない。
だが、意識が追いついていないのか、浮遊感がAを包んでいた。
｢すみません……太宰さん｣
｢ーーーー｣
｢……よくある立ちくらみです。行きましょう｣
足に力を入れ、自力で立ち上がる。
そして、顔は下に向けたまま太宰に呼びかけ、家の方向へと足を進めた。
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作者名：女中 | 作成日時：2022年6月11日 11時
