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常冬の海 ページ8

シェレメーチヴェオ空港からお世話になったエクスプレスを降り、ベラルーシ駅の駅舎を出る。流石北の大国ロシアと言うべきか、凍てついた空気が肌に触れ思わず目を閉じる。自らの主人である日本から贈られたコートの鈕を留めながら、響はその駅舎を見上げた。

淡く美しい白藍の塗装に日本では中々見られぬような装飾、一見すると難読なキリル文字の羅列。普通の日本人ならば首を傾げるしかないその文字達も、今の響にとっては不可思議な郷愁を感じさせる。祖国ではない、しかし彼女にとってのもう一つの帰る場所。それがこのロシアなのかも知れない。
駆逐艦「響」は、第二次世界大戦終結後に賠償艦としてロシアの前身であるソビエト連邦に引き渡された艦である。異国の地で就役する事となった彼女はしかし、整備面の問題や工事の滞りなどの紆余曲折を経て最後は練習用の標的艦として処分という虚しい結末を迎えた。それでも響にとってこの地は、十数年間を過ごした二つ目の“家”なのだ。例え、今の祖国がこの国と少々難しい関係にあるとしても。


ここには一度だけ来た事があるが、人々の様子や明るい雰囲気を除けばあの頃と殆ど変わっていない。その時案内をしてくれていたロシアによると、この駅舎は帝政時代に建てられたその時のままなのだと言う。歴史に忘れ難い傷を残した第二次世界大戦時、多くのソ連軍人がこの駅から独ソ戦の最前線へと送り込まれていった。涙、別れ、惜別、微笑み、列車の向こうにあるかも知れない死という普遍的な恐怖。ここでどれだけの人間ドラマが展開されたのか、響には分からない。人の姿を持っていても、人の言葉を話していても、意思疎通が出来ても、彼女はあくまで駆逐艦だ。ただ任務遂行の為に海上を滑り味方の艦を護衛する。そこに私情は無く、あるのはただ祖国への忠誠心のみ。
それが幸福な事だと響も信じていた。ソ連へ引き渡されても自分は大日本帝国の駆逐艦であると。これからも祖国への崇拝を胸に宿して海の上を行くのだと。少なくとも、役目を終えて暗い水底へと沈んだその時までは。

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十弧(プロフ) - ナ子さん» コメント有難う御座います。身に余るお言葉を頂けて嬉しい限りです…!殆ど好きだけで書き殴っているのでまだまだ至らぬ点など多々見られると思いますが、楽しんで頂けたようで作者冥利につきます。不定期更新ですが、これからも何卒宜しくお願い致します! (2019年1月19日 15時) (レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
ナ子 - 読ませていただきました…こんなに面白い文章を書ける人がいたなんて…と少々驚いています。舞台となっているロシアについても細かく描写されていて尊敬します。これからも頑張ってください! (2019年1月19日 9時) (レス) id: 5e3a342151 (このIDを非表示/違反報告)
十弧(プロフ) - 白林檎さん» コメント有難う御座います。そのような温かいお言葉を頂けて嬉しい限りで御座います…!一次創作は初めての試みで慣れない事もありますが、楽しんで頂けて幸いです。これからもご期待に添えるよう精進して参りますので、何卒宜しくお願い致します! (2018年9月2日 18時) (レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
白林檎(プロフ) - 初コメ失礼します。とても繊細な文章、作者様の語彙の豊富さが垣間見えるようです。占いツクールでこのような良作に出会えたことに感謝します笑 一次創作は中々売れづらいとは思いますが、応援しています。頑張って下さい! (2018年9月2日 17時) (携帯から) (レス) id: b3533b2202 (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:十弧 | 作者ホームページ:なし  
作成日時:2018年9月1日 0時

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