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TY side
「…出来た。髪、洗ってきて」
「ありがとうございます。仕上がりが楽しみです」
立ち上がり、Aさんに微笑みかけて
この部屋の向かいにある風呂場へと 足を向ける。
ふと振り向けば、Aさんはてきぱきと後片付けをしていた。
「…Aさん」
「ん？なに？」
作業の手を止め、俺を見る。
…涼しい目、
今だけは 普通の女性。
ありのままの、Aさんは
なんだかいつもより ずっと少女らしい顔つき
俺は、言いかけていた言葉を 喉の奥へ仕舞い込む。
「…なんでも、ないです。髪、ありがとうございました」
Aさんは、不思議そうに
…でも、全て“解ってる”顔で
俺が何か言うのを待つように ただ俺を見ていた。
ぬるま湯で髪の染料を洗い流しながら、
無意識にあの瞳を 思い浮かべる。
さっき、言えなかった言葉を
今無性に後悔したって 何にもならないのに。
身体を洗い流し、悪戯に 時間を過ごせば
そんな雑念も泡と一緒に流れていくかと
…無謀な期待を抱いていたけど
風呂場の障子の隙間から見える、夜空。
跡形もなく消えていく、風呂場の蒸気。
こんな風に
思いを伝えなければ
そのまま溶けて 消えるんだろうな
…そう、手に取るように思えば
鼓動が性急に、Aさんへ向けて 高鳴り出す。
風呂場から上がってすぐに身体を拭き、
濡れた髪もそのまま
寝間着の帯も 一度や二度、結んだだけ
駆けるように居間へ戻れば、
道具を片付け終えて 染料の匂いを相殺するためにお香を焚くAさんの後ろ姿。
…俺は思わず、それを抱き締める。
Aさんの驚く声にすら、
なんだか胸の奥から 慈しむような想いが生じて
首元に顔を埋めると、
Aさんが 困ったように笑って
腕を伸ばし、俺の後頭部に手を当てるのが分かる。
「…もう、どうしたの」
「……本当は」
「うん」
「…行かないでって…」
「…」
「思ってました…、ごめんなさい、俺の我が儘…」
「…テヨン」
ああ
そう、今だ
今みたいな この一瞬
貴女が俺の名前を呼ぶ
貴女がくれた 俺の名前を呼ぶ
胸の奥が苦しくなる
嬉しいのに 苦しくなる
だけど痛くない
どこか心地いい
この感情はなんて呼べばいい？
…俺は、知らない
Aさんを抱きしめることしか出来ない。
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作者名：如月
| 作成日時：2021年1月11日 10時
