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「っ…、あ、」
「…歌、歌えないね」
苦しそうに歌を歌おうとする、空気を揺らそうとする彼女の姿が見ていると苦しく胸が締め付けられて静かに目を伏せた。
きっと、彼女は自分だけが生きる活力を失ったと嘆いているだろうが、それは違う。
彼女にとって「音楽」が人生だ。俺の「音楽」の形はAほど大それたものではないが、人生の一部…大多数は音楽で占められていると言っても過言ではないだろう。
今の俺がここに居られる理由は音楽があったから。
彼女の人生が、生きる活力が「音楽」だ。
だが。
俺にとっての人生、生きる活力は「彼女そのもの」だ。
「彼女そのもの」だなんて気持ちが悪いと思われるかもしれない。
けれど、二十年以上も一緒に居て、彼女が俺の人生に加わったのだ。
大人になるよりもずっと早く彼女への想いに気付き、そしてその時から彼女と一緒に居る事が俺の人生になった。彼女と歌う事が俺の音楽で、彼女が曲を作ることが、彼女の作った曲を歌うことが俺の音楽で人生なのだ。
「A。このままじゃ、俺もAも音楽をやめることになるよ」
「分かってる。そんなの分かってるわ。でも、仕方ないじゃない」
「…俺らが会ったときの事、覚えてる?」
「何が言いたいの?」
いきなり何の脈略もなく昔の事を聞かれた彼女ははぁ?とでも言いたげに眉根を顰めた。
まだ幼い頃。早くに両親を亡くしていた彼女は祖父母と一緒に暮らしていた。
そんなある日。まだ俺はAの事を知らないでいた。
家の庭で一人遊んで居ると、ピアノの音と共に美しい歌声が聞こえてきたのだ。
物心も着かないほどにまで小さい年齢だったというのに、その声に魅了されてしまった。
「俺が家の塀飛び超えて、Aが歌ってるの覗いてたよね」
「そうね。あれから一緒に歌うようになったし」
「あの時さ、惚れたんだ」
「……え?」
惚れた。Aの声に。そしてきっとその時から彼女自身にも惚れていた。
だが、どうしてもこの先の言葉が出てこない。言えるはずがない。
「…Aの声に惚れたんだよね。綺麗で。本当に惚れてたよ。あんな綺麗な声、この先もずっとAだけだ」
「お腹空いたわ。飴食べる?」
「話聞いて!?」
昔から変わらない。人の話を聞いていない癖。
ただ、変わったのは俺の気持ちと、彼女の歌声だけ。それだけが。それが。とんでもなく大きな変化なのだ。良くない変化。
そんな彼女を変えたいが、それ以上何か出来るわけでもなかった。
進めない。
これから先の音は紡げない。
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ほさと - とても感動しました。占ツクの歌い手様を扱った作品には珍しくしっかりと小説になっていて、一介の読書好きとしても嬉しかったです。どの作品もとても美しい比喩があり、音読したい作品だなぁと思いました。 (2019年7月14日 20時) (レス) id: fdc2472f82 (このIDを非表示/違反報告)
弓乃 - 皆様の素晴らしい文章に心が震えました。ありがとうございます。執筆お疲れ様でした。これからも頑張って下さい。 (2019年6月17日 16時) (レス) id: d99258de7b (このIDを非表示/違反報告)
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