あたしにケーキは必要ない. ② (ページ31)

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# "行かない"理由ページ31

. (りょう Side)

『りょうが思うよりも、ずっと幸せ』

生温い海風が、彼女の茶髪を撫でる。
振り向いた彼女の顔は、薄暗い闇の中でもわかるほど美しくて。まるで、別の女の人みたいだ。

「…A、」

『私、何もなかった。特別できることも、好きなことも、大事な人も、生きる目的も。永遠に、私には何もないままやと思ってた』

さく、さく、と控えめな音を立ててAが俺の前に立つ。俺よりも背が遥かに低いはずなのに、彼女には有無を言わさない何かがあった。ぼんやりと彼女の深い色の目を見つめていると、不意に手を握られる。

『でも今、こうやって手放したくない人が居る。手放したくない時間も、モノも、幸せもあるから。』

だから、どこにも行かへんよ。

ふわりと微笑んだAが、しっかりとした口調で俺に聞こえるように言ってみせる。

…然し握られたその手は、僅かに震えていた。

「…大丈夫だよ、A。俺は、誰が何と言おうと、Aのものだから」

『…え？』

「ふふ、俺はAのものだよ、ずーっと前から」

『いや、…ええ、』

「ねえ何でちょっと引いてんの(笑)」

『いやそれは引くやん(笑)』

緊張がとけたのか、いつも通り目が見えなくなるほど笑っている彼女の手を強く握り返して、こちらに引き寄せる。抱き締めたAの体は、見えているよりもずっと華奢で小さくて、暖かかった。

「俺は、Aのものだから。…もし、どっか行きたくなったら、俺も一緒に連れて行って。何しても何言ってもいいから、俺を置いていかないで。」

『…りょう、』

「……もし置いていったら、地獄の果てまで追っかけてとっ捕まえて、死ぬほどセロリ食わせてやるからね」

『…セロリだけは勘弁してください、(笑)』

いつもだったらきっと、こんなふうに抱き締めさせてはくれないんだよな。俺は少し切なさを覚えながらAを抱きしめる腕を解き、少しかがんで彼女と目線の高さを合わす。

「…さ、ちょっと冷えてきたし帰ろっか。てことで今から車で岡崎帰るのしんどいから泊めてね！(笑)」

『……えっ！？いやいやいや聞いてなさすぎる！』

「今言ったもんね。さー早く帰ろ、Aんちに(笑)」

『もー…、』

小さな彼女がわざとらしく腕を組んで、しょうがないなーと笑う。ああ、どうかこの時間、この記憶だけは、消えないでほしいと心から願った。

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