降谷さんが狂犬を飼い始めたらしい。２【降谷零/安室透】

56.翠色 ページ16

『まさか本名までバレるなんてなぁ、よくそこまでわかりましたね』

そう言いながらAは１歩下がった。



｢…名前呼びに拘ったのはそっちが本名だからだろ。
料理の味付けで出身地も大体予想できた。
それだけわかれば突き止めるくらい造作もない｣

『あはは、ちょっと気抜きすぎてましたかね？さっすが降谷さん。
いつから私がシャトーだって気づいてたんですか？』


こんな状況でもへらへら笑っている彼女は、やっぱりシャトーであり犬飼Aでもある。



｢多分、割と最初の段階からどこかで気づいてはいたんだ。
でもずっと否定して、気づいてない振りをしてた。
ちゃんと確信したのはかなり最近だ。

弁当を渡した時に涙を浮かべたのは、約束が叶ったからだろう。
お前がシャトーなら腑に落ちる現象が多々ある｣


『へえ…それで？わざわざ二人きりになって、話ってなんですか？』


小首を傾げたAの、染めた明るい茶髪が揺れる。

真っ黒な瞳が怪しく光る。



『まさかここに来て寝返れだなんて言いませんよね？』

｢そのまさかだ｣


俺の言葉に、ずっと保たれていたAの笑顔がようやく崩れた。


｢組織の首輪は切れ。俺と一緒に来い｣


自分の手をAの前に差し伸ばす。

それを、Aは笑わずに、困惑したような顔で見つめた。



｢ずっとこうしたかったんだ。
ずっとお前を助けたかった。
あの時動かせなかった手を、差し伸ばしたかった。
最後の日、何も出来なかったことを悔やんでた｣


Aは何も言わない。

何も言わずに、ただ拳を握って瞳を揺らしながら俺の手を見ている。



｢あの夜、流れ星に何を願った？
お前は今、どうしたいんだ？｣


本当はおまわりさんになりたかったと言っていた。

朝焼けの中、キラキラした瞳で警察官になって良かったと笑っていた。

あとはAがこの手を取るだけだ。

そうすれば引っ張り上げてやれる。

何年も抑えつけられていた彼女を、解放してやれる。



｢手を取ってくれ、A。
今ならまだ、お前が望んだ未来を歩ける｣

『……っ』


１歩、Aに歩み寄る。

今にも泣き出しそうな顔で、小さく後ずさりをされた。


…なんで迷ってるんだ。なにを躊躇ってるんだ。

組織にAの心を引き止めるものなんて、ないと思ってたのに。


Aはぎゅっと手を一層強く握りしめる。

そして何かに耐えるように、息をついた。

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