第71.5:鼻歌 ページ31
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＿＿早朝、五時。日本対イタリア戦が意外な形で幕を下ろしてから数日が経ったある日のこと。皆が寝静まっているこの時刻に、一人の選手が宿舎に帰宅した。
｢はぁ…疲れた｣
その者の名は日暮Aだ。彼女の朝はいつま早く、ランニング帰りだったのか、玄関先の下駄箱に片手をついたまま乱れた呼吸を整えている。
｢昨日冷やした栄養ドリンク持って、ロビーで寛ごう｣
スパイクを下駄箱に入れて室内用スリッパに履きかえたAは、昨晩厨房の冷蔵庫を覗いた際に見つけた栄養ドリンクの存在を思い出すと、ロビーを抜けた先にある食堂へと足を進めていた。
＿＿その時。
｢明かり…？｣
食堂と思わしき部屋の窓から、僅かではあるが光が薄暗い廊下に射し込んでいるのを目撃する。｢こんな時間に誰？｣……と、不思議に思いながらAはイレブンバンドで時刻を確認した。
｢マネージャー、にしてはいくらなんでも早すぎるし｣
起床まで時間は十分に残されている。Aが廊下を進んでいくに連れて、誰かの愉快な鼻歌までもが耳に流れてくる。男特有の低く落ち着いた音で、マネージャーのものではないということはすぐにわかった。
｢析谷さんのものでもなさそうね…｣
扉の前で立ち止まったAは、なるべく気づかれないように身を屈めて中に入り、カウンターから厨房の中を覗き見る。
｢あれって、まさか｣
左右に目を走らせるとそこには意外な人物の姿が。ウェーブがかかり、鮮やかなグラデーションで彩られた青髪の少年は宿舎に一人しかいない。
｢み、水神矢くん！？｣
思わず大声を上げてしまう。その声に気づいた少年は、驚いたように目を丸めると｢日暮？｣と名前を呼び返す。
腕を捲り、青色のエプロンを着けていたのは、最近日本に加入したばかりの水神矢成龍だった。そして何故か彼の手には、杓文字が握られている。
｢どうした？起床までの時間はあるはずだが……｣
｢それはこっちのセリフよ。水神矢くんこそ、こんな朝早くからどうして厨房なんかにいるの？｣
杓文字を水の入ったお椀に浸して、慣れた手つきでサランラップを切り取った水神矢。
無駄のない動きに思わず手を叩きたくなるのを抑えて問いかけると、彼は少し照れくさそうに笑う。
｢少し、差し入れをな｣
｢こんな時間に差し入れ？｣
カウンターに頬杖をつきながら訊ねると、返事の代わりに水神矢が手招きをする。不思議そうに小首を傾げたAは、そうして厨房の中へと足を踏み入れた。
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作者名：小雪
| 作成日時：2019年10月15日 21時
