智あり雅やかな君に、潤い和み我も翔ぶ。【ars短編集】 (ページ39)

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●咲【S】ページ39

縁起が良いと思った。

私がそのお店を見付けたのは、受験勉強に行き詰ってこないだのテストでも志望大学合格ギリギリの判定しか貰えなかった頃。

予備校からの帰り道、気分転換になるかと思っていつもは通らない道で駅まで歩いた。
わざと路地裏なんかを通って、野良猫の横を通り過ぎて。
民家の並ぶ道を歩いてると、白い壁の建物が目に入った。

木製のドアに、黒いアイアンの取っ手。
壁には小窓が一つあるだけ。
その壁沿いに、寄せ植えがいくつか並んでる。

一見、ちょっとおしゃれなお家かな？って雰囲気なんだけど、そう思わなかったのはドアの横に立て小さな看板が置いてあったから。

その看板には縦書きで『さくら咲く』の文字。

「桜...咲く」

受験生への応援メッセージかな、なんて自分に都合良く解釈して立ち止まってたらドアが開いて中から男性が出て来た。

「あ、こんにちは」
「え？あ...こんにちは...」

男性はニコっと微笑むと、外の寄せ植えに水をやり始めた。
白いシャツに黒いサロン。
少しだけ茶色い髪が、首筋に掛かってる。

「元気に育てよー」

独り言のように呟きながら水をやり終えた男性は、まだそこに居た私を見て「良かったら入って行く？」と言う。
意味が分からなくて、何も言わずに首を傾げると「うち、喫茶店なんだ。分かりにくいけど」と笑った。

「喫茶店...あ、じゃあコレはお店の名前なんですか？」

看板を指差すと、男性は「そうそう」と頷く。

「素敵な店名ですね」
「アハッ！ありがと。まぁ俺の苗字が櫻井だからなんだけどね」
「そうなんですか」

もう一度看板を見る。
今の私にとって、やっぱりこの文字は特別。

「あの...入っても良いですか？」
「どうぞどうぞ！」
「でも私、コーヒー苦手で...」
「大丈夫、ジュースもあるよ」

櫻井さんがドアを開けてそのままの体勢で私が入るのを促してくれた。

お店の中はそんなに広く無くて、テーブル席が二席とカウンター席が四席。
私はカウンターに座りメニュー表を見て、ミックスジュースを頼んだ。

「高校生？」
「はい。受験生なんです」

ドロリとした濃厚なジュースを飲んでると、目の前で食器を洗ってる櫻井さんに声を掛けられ慌てて応える。

「じゃあ、もしかしてそこの予備校に通ってる？」
「はい」
「頑張ってんだね」
「...でもなかなか思うように行かなくって...」

アハ、と笑ってミックスジュースをストローで掻き混ぜる。
櫻井さんが「そっかー」って優しく笑った。