▼ ページ28
数秒か、数十秒か。黙ったまま抱き締め合っていた俺たちだったが、やがて彼女が俺の胸に埋めていた顔を上げた。かつて見た事の無いほど真剣で、それでいて不安そうな表情で。
「あの……川上さん。お願いがあるんです」
「お願い?」
「私の事、下の名前で呼んでくれませんか」
彼女がこんなにも切実な響きを持った声で話すのは、もしかすると初めて聞いたかも知れない。
これが平常時だったならきっと、いきなり下の名前で呼ぶなんて気恥ずかしい、とかそういう思いも浮かんだんだろう。だけど今日はもう、残された時間が無いから。
「――A」
驚くぐらい自然に彼女の名前を呼べた。すると彼女は一瞬だけ目を大きく見開いて、すぐに笑った。その瞳の端にじわりと涙を滲ませて。
「あは。凄い奇跡。川上さんが私の名前呼んでくれるなんて。人間、生きていればいい事があるもんですね」
涙を浮かべながらも微笑む彼女が驚くぐらいに綺麗で、思わず目を瞠る。直後、うっかり見惚れてしまった自分が少し恥ずかしくて、誤魔化すように彼女の髪をわしゃりと乱した。
「名前呼んだぐらいで泣くなって」
「ごめんなさい。でも、だって、最後の日にこんな嬉しい事が起きると思わなかったから。止まらなくて」
彼女の両目から溢れた雫が、ぽろぽろと頬を伝って落ちていく。落ち着かせようと形の良い頭を何度か撫でるが、なかなか止まらないらしい。
「……とことん感情豊かやなぁ」
独り言のように小さく呟くと「それが私の長所ですから」と返ってきた。
526人がお気に入り
この作品を見ている人にオススメ
「QuizKnock」関連の作品
感想を書こう!(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
奈都(プロフ) - さっちいさん» 名作第一位更新とのありがたいお言葉で恐縮です。一年半以上も前に書いた作品ではありますが、こうして新たに読んで頂けてとても嬉しいです! (2021年8月6日 23時) (レス) id: 1ea9b7d420 (このIDを非表示/違反報告)
さっちい(プロフ) - 私の中の名作第1位更新しました…すごく好きな作品です! (2021年7月29日 10時) (レス) id: ebeed9cbc6 (このIDを非表示/違反報告)
奈都(プロフ) - 清華さん» ありがとうございます。悲しい終わりではあるのかも知れませんが、それでも各二人にとっての幸せの形を描いたつもりでいます。泣いて頂けたら嬉しいな、と思いながら書いていたので本望です…! (2020年4月8日 22時) (レス) id: 1ea9b7d420 (このIDを非表示/違反報告)
清華(プロフ) - 一気に7人分をworld endを見ますた...心痛いですよ、めっちゃめちゃ泣きました、もうきついです(笑) (2020年4月1日 16時) (レス) id: 1c085b2c66 (このIDを非表示/違反報告)
Hërø(プロフ) - 奈都さん» 夢は大丈夫だったのですが時々それぞれのメンバーの最後を思い出してグッときてます笑 (2020年1月3日 1時) (レス) id: 7ab3904f14 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:奈都 | 作成日時:2019年12月9日 20時