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店の外はやはり少し肌寒く、冷たい風が頬を撫でていく。春と言えども三月の夜はまだ冷え込むなと思いつつ、トレンチコートの前を閉めた。
酒が入っているからかいつもより少しふわふわした様子の伊沢くんは、緩めの笑顔で軽く頭を下げてきた。
「今日はありがとうございました。めっちゃ楽しかったっす」
「こちらこそ。凄く楽しかった。あと奢って頂いちゃって本当にすみません。ご馳走様でした」
誘ったのは俺だから――とあまりにスマートに会計した伊沢くんを前に、私は財布を取り出す間も無かった。映画のチケットだって貰い物だし、何だか申し訳ない気持ちになるが、ひとまず今日は彼の厚意に甘える事にした。
駅までは他愛ない会話を続け、改札を通り抜けた所で何となく互いに向き合った。自宅までの路線が違うので、私たちはここで解散となる。
「じゃあ、ここで……。Aさん、良かったら今度また飯行きましょ」
「うん、是非。平日でも事前に予定決めてある日なら、大体そんなに遅くならずに帰れると思うから」
「了解っす」
また連絡しますね――と繋いで、伊沢くんが踵を返した。軽く手を振ってから、私も自分の使う路線に向けて歩き出す。
本当に楽しい日だった。社交辞令かも知れないけれど、また会う機会を求めてくれた事もありがたい。彼も今日を楽しいと思ってくれていた事の証明になるから。
それにしても伊沢くんは不思議な人だ。話せば話すほど彼への興味が深まっていく。動画やテレビで知る彼は確かに彼であるのと同時に、やっぱりほんの一部分であり、まだ知らない顔が沢山あるんだろうと思わされる。だからこそ、知りたくなる。
「――あ」
階段を降り始めた所で、ハッとする。
そもそも今日はリサーチの為に呼ばれたのではなかっただろうか。全然全く一向にそんな話をしなかったけれど、果たして大丈夫だったのか。
「まあいっか」
伊沢くんの方からその話をしなかったという事は、そこまで急ぎのリサーチでも無かったのだろう。必要ならばまた連絡が来るだろうし、とりあえず気にしなくても大丈夫そうだ。
今はただ、この楽しい気持ちを大事にしていたい。酒の所為か、それとも他の要因の所為か。ふわふわとした幸せな気分に包まれながら、ホームへと歩を進めるのだった。
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奈都(プロフ) - Komiさん» コメントありがとうございます。トロイメライが出来上がってる二人の話なので、順番が逆になってしまうのですが、あの関係になるまでにこんな流れがあったんだな、という感じでお読み頂ければ幸いです。出来るだけマメに更新していくので是非今後もお願いします…! (2019年9月14日 16時) (レス) id: 1ea9b7d420 (このIDを非表示/違反報告)
Komi(プロフ) - 初めてコメントさせていただきます!トロイメライの頃からizwさんの2人が大好きで、始まりのストーリーが読めるのがとても嬉しいです^^毎日更新を楽しみに生活しています笑これからも応援しています!! (2019年9月14日 5時) (レス) id: 31bd00c83a (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:奈都 | 作成日時:2019年8月11日 10時