Papaver dubium ページ21
行こ、と言ったのに、智はまるで俺が居ないかのようにずんずんと歩いた。
哀れなポピーもどきのつぼみの前を、智は何度も素通りする。
明日、智の機嫌がもとに戻っていたら、このつぼみを無視してしまったことを教えてあげよう。
そしたら、ちゃんとお詫びも込めて、丁寧に触るんだろうな。
「智速いよ、」
それにしても歩くのが速い。
そうか。いつも立ち止まってばかりで、智が目的地に向かって一心に歩いているところを見たことがないのだ。
駆け足の寸前みたいな足どりで、歩いた。
.
息も絶え絶えになる頃に、やっと姿を見せた2月の終わりの海は、ひっそりと夕日に沈んでいた。
もうすぐ春が来る。
とはいえ、まだ寒い。俺はマフラーをしている。
「さむ…」
智が躊躇なく、ざばざばと海に入って行った。腰まで、冷たい海水に浸かっている。
「あーあ……」
朝のニュースで、今日の最高気温は12度と言っていた。もう夕方だから、きっともっと低くなっているだろう。
夕日を受けて、影絵みたいになった智のシルエット。
左手が舞うように 海水を掬い上げて、ぱらぱらと小さな雫を海に還す。
智はいつのまにか、ブレザーを脱いでいた。
白いシャツ1枚で海に入るのが似合うな、とそれだけ思って、あとは余計なことを考えずに、砂浜に腰を下ろした。
空気が冷たい。
海の水は、今どれだけ冷たいんだろう。
.
2月の海は冷たい…と、そう思ったら、
忘れていたけど、思い出した。
.
「…さとしー」
今日は2月28日だ。
ぼうっと、夕日を見ているのだと思っていた智の目線は、夕日なんかちっとも見てなくて
夕日よりもちょっと手前にある、崖の上をずっと見ていた。
「寒いから上がりなー」
その崖の上には、誰も居なかった。
でも、2年前の今日、智が中学3年生だったときの今日は
その崖の上に、女の子がひとり…立っていて
智の目の前で、海に飛び込んだのだと、相葉くんが言っていた。
「智、こっち来て」
俺が1年生のとき、夏の海で溺れたことがある。
そのとき智はそこに居て、意識が定かでない俺を海から引きあげ、飲んだ海水を吐き出させ、乱れた呼吸を整えさせた。
そして、落ち着くまで、自分の温かなパーカーを、肩にかけてくれていた。
「大丈夫だから」
ゆっくりと振り向いた智の顔が、逆光で良く見えなかったけど
泣いているんじゃないかと、なんとなく思った。
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きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» →もしかしたら誰かの気を悪くしてしまうかもしれなかったお話ですが、こんなふうに温かいコメントを、時間が経っても頂けることを本当に有り難く思います。なんだか下手な解説みたいになっちゃいました。読み返してみると恥ずかしい所だらけなんですけどね(笑)あはは (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» ガバっと素直に詰め込んでみたお話です。こんなふうに生きてゆけたならそれはそれは眩しいのではないか、とゆう想像の羅列です。完璧に無邪気であることの尊さに憧れながら、そうはいかないことへの失望までを、人生のうちに一度は文章にしてみたいなあと思っていました (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» あっちゃんさんお久しぶりです!読み返して頂いて本当にありがとうございます。ピアニッシモにコメント!?とめちゃくちゃビビりましたが、あまりにも温かい言葉に私のほうが泣きそうになりました(笑)とても嬉しいです。ピアニッシモは、私の憧れみたいなものを、→ (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →思うように過ごせていることを切に、願いたいものもです。回りの雑音なんて気にしない生活を送らせてあげたい。とそんなことを思いながら。長々と失礼しました。これからも素敵なお話をお待ちしてます。いつもありがとうございます。 (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →最後の章は。もう涙が止まらなくて。小説を読んでこんなに泣いたことなかったなあ。…これを書いていても涙してます(´;ω;`) 。そんなお話を書けるきんにくさんが素敵!現世の彼が。同じようなことにならなくてほんとによかったと思うと共に休止中の今を自分の→ (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年6月7日 0時