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しばらくそうして駆けて、はたと気がつきましたら、丘々人の姿はもう見えなくなっておりました。ですが同時に、村へ戻る道も見えなくなっておりました。私は山の随分奥深くへ、気づかない内に入り込んでしまったのです。私はさあっと血の気が引く心地がいたしました。立ち止まってどうにもこうにも出来ずにいる間に、雨が降って参ります。まっすぐに地面に落ちていく、霧雨というには少しばかり粒の大きな雨でございます。私は近くの大きな木の下に駆け込みました。濡れた袖は夏の熱気に火照っていた体を急に冷やしてしまって、私は冷たくて身震いをしました。ひとりぽっちで、大変覚束ない心地でございました。
そんな時でございます。私はおおい、という声を聴きました。一瞬空耳かと思いましたが、やはりもう一度おおい、と聴こえました。知らない殿方の声でした。ですが、もしかしたら、もしかしたらどなたかが私を探しに来てくださったのやもと思って、はあいと返事をいたしました。思っているよりも随分、蚊の鳴くようなものでございましたけれど、それでもたしかに返事をいたしました。殿方の声はまた聴こえました。自分は貴女と同じ木の下で雨宿りをしている者である。この雨はしばらく止みそうにない。もしよければ退屈しのぎにそちらへ行って話をさせてもらっても構わないだろうか、と。私はあんまりにも心細かったものですから、すぐその言葉にはい、と返事をいたしました。
私は、そうしてあの方と出会いました。私が雨宿りをしていた木の、幹を挟んで向こう側からやってきたあの方は、笠を被って刀を差しておられました。けれど少しも恐ろしいとは感じません。だってあの方はその端正なお顔に人好きのする笑みを浮かべて、懐には小さな小さな真っ白の仔猫が、くうくう寝息をたてておりましたから。
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作者名:鳴草 | 作成日時:2022年5月6日 1時