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それでいい ページ15

浴衣なんてものを着たことがないから、そもそも自分で着られるのかという懸念は少しあったけれど


こういう時、自分の無駄に器用な一面が役に立ってしまう。


適当に布を羽織り、渡された紐と帯を適当に腰に結んだ結果、形として成立してしまったのだからもう逃げ道はないだろう。


僕は渋々と部屋のドアを開けて、
7月15日の夕空の中へと飛び出した。


目の前に開ける赤紫色の空に


君が死ぬまで残り1ヶ月を切ったのだということを、


僕は静かに飲み込もうとしていた。


「あ…野坂くん。」


部屋を出て左を見ると、浴衣姿の君がいた。


どうやら、今日は部屋で寝こけているわけではないらしい。


いつもは下ろしている髪が今日は綺麗に束ねられて
その艶っぽい肌が、夕日の光を吸い込んでいた。


「どう…かな。」


「…うん。いいんじゃない。」


こういう時、“似合っている” だとか “綺麗” だとかと何の迷いもなく言える人間を
僕は素直に尊敬する。

普段は思ったことをそのまま口にしている僕にだって
多少は言いづらい言葉もあるのだ。


「行こうか。」


普段とは違う君の姿を、僕はまともに見れやしなくて
ただ真っ直ぐと前を向いたまま、駅へと歩き出した。


もう君に聞かなくても、乗るべき電車や降車駅はちゃんと分かる。


電車の中で、あの日とまるで同じ話を君がするものだから
僕はあたかも初めて聞くようなフリをして、過ぎ行く駅を一つずつ数えていた。


「ここだよね?着いたー!」


電車が止まるや否や、君は席を立ち上がってそう言った。


この駅に近づくにつれて次第に増えた浴衣姿の人の中に、今日は僕らも溶け込んでいる。


「すっごい人混みだね…。」


その言葉に、君が人混みにさらわれて誰かに声をかけられ
参った表情をしていたことを思い出した。


やれやれ、だ。君は全く、手が焼ける。


「…手。貸して。」


「え?」


君はまだ戸惑っていたけれど、僕は構いもせずその手を掴んだ。


「君はこういう時、すぐ逸れて迷子になるような人でしょ。」


「なっ…何よ、それ!子供じゃあるまいしそんなことしなくたって。」


「どうかな。じゃあ、繋がないで試してみる?」


「……いい、別に。このままで。」


そうだ。それでいい。


君はそうやって、いつまでも僕の言う通りに。


ただ僕の手から離れずにいれば、それで。

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カトラオ - はじめまして!!もちまるさんの小説に出会えて毎日仕事終わりに読むのが楽しみで仕方ありません。まだ全部読み切っては無いのですが、感動とドキドキの展開を毎日楽しみにしていることだけどうしても伝えたかったのでコメントを残します。 (2020年7月22日 21時) (レス) id: eccc16e070 (このIDを非表示/違反報告)
miginoaoi(プロフ) - 全部読みました。ボロ泣きしてしまいました…すごく切なくて感動する話ですね。続気が気になりました!今は無理でも貴方様の更新をずっとまちます! (2020年1月15日 0時) (レス) id: 5d51d334c7 (このIDを非表示/違反報告)
ハニートースト 通称,ハニトン!(プロフ) - 作者様の作品は全て読ませていただきましたが、完全に虜になりました。言葉選びが繊細で、儚くて、思わず世界に入り込んだ気分で読んでしまいます。こちらの小説なのですが、co shu nieというバンドのアマヤドリという曲がピッタリだったので、伝えてしまいました。 (2020年1月6日 19時) (レス) id: b6696be840 (このIDを非表示/違反報告)
聖羅(プロフ) - 初めまして。この小説を読んで泣きました。もちまる。さんの小説がとても大好きでずっと待ってました。これからもずっと応援してます! (2019年12月24日 23時) (レス) id: 07b14ef242 (このIDを非表示/違反報告)
ルナ☆(プロフ) - 初めまして。君の脳になりたいの方を読んで此方にきました。私、本や映画を見ても絶対泣かないのに、この小説と君の脳になりたいの小説では泣きました。私は今不登校で、死にたいって思ってたけど、これを見てまだ頑張ろって思えました。何年でも待ってます。頑張れ! (2019年11月28日 14時) (レス) id: 65ed62dd2f (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:もちまる。 | 作成日時:2019年8月12日 21時

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