君忘れたまふこと勿かれ/ymmt ページ30
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春が怖い。
そう気づいたのは、ずいぶん最近のことだった。
暖かくなってきて、衣替えももうすぐだなぁなんて考えて。外出出来ない、いつもと違う1年を過ごしたせいなのか、完全に油断しきっていた。
「わすれな、ぐさ」
道端の、見落としてしまいそうな小さな花に、気づいてしまった。儚い、薄青の花に。
勿忘草は、恋人だった彼女を思い出してしまうから嫌いだ。楽しかったあの頃のことを思い出すのが怖かった。
…見ていられない。くるりと踵を返すと、不意にぬるい風が頬を撫でた。
「祥彰」
「A、」
名前を呼ばれた気がして、思わず振り返った。空耳だと、分かっていたのに。未だに忘れられない、自分が嫌いだった。
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「ただいま」
誰もいない空虚に声をかけてしまうのは、癖が抜けないから。彼女がいた頃の名残が、いつまでも残っている。
カタリ、と引き出しを開ける。最奥に仕舞われた小さな箱を開いて、摘んできた勿忘草を一輪、箱に詰めた。
「わすれないで、A」
声が掠れて上手く言えない。箱いっぱいに詰められ、今にも溢れそうな勿忘草がこちらを見ていた。
「ごめん、ね」
謝っても今更戻らない。彼女が今どうしているかさえ知らなかった。
別れ際、彼女がくれた勿忘草を集めている自分が嫌いだった。
春が怖い。
勿忘草が咲いて、彼女を思い出してしまうから。なんて女々しいんだろう。
「ダメだなぁ、僕」
そう、僕はバカだ。だって、二年前別れを告げたのは、彼女ではなく僕だったのだから。
手の中で、乾ききった勿忘草がカサリと音を立てて崩れた。
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勿忘草の花言葉『私を忘れないで』
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作者名:エリッサ | 作成日時:2021年1月7日 19時