嘘つきカップル (ページ29)

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トクトクと耳元で一定のリズムを刻む彼の心臓。外から見ていたよりもずっと広い胸板。硬い腕。だけど、それらはひどく優しく私を包み込んでいる。

「Aさんの悩みはAさんだけのものです。誰にも奪えやしない。だけどそれが原因であなたが苦しんでいるのを目の当たりにして平気でいられるほど僕は非情じゃない。全てとは言いません。けど、本当に辛くなった時、耐えられないと思った時くらい、頼って欲しいと思うんです。あなたをそれほどまでに追い詰めているものを取り除きたいと、救ってやりたいとそう思ってしまうくらいには僕はあなたに絆されているんです。…僕に、できる事はありませんか？」

耳に溶ける低音が体に染み込んで、困っていた力がひとりでに抜けていく。彼の体温があたたかくて、胸の奥が小さく小さく丸められたみたいにきゅうきゅう鳴いて、気づけば私の両目からは涙が溢れていた。透明なそれはぼろぼろと溢れて彼のブレザーを、私のブレザーを濡らしていく。慌てて彼から距離を取ろうと彼の胸板を押すも、それは再び込められた強い力で無に帰った。

「…いいですよ、別にブレザーくらい濡れたって」

彼が、刀也くんがやさしい声でそう言うから、涙だけじゃ飽き足らず、私はしゃくりまであげて泣いてしまって。その間、彼はずっと私を抱きしめたまま背中を撫ぜてくれていた。

「…落ち着きましたか？」
「…うん、ごめん、ブレザー…」
「気にしないで下さい。汚れたわけじゃないんだから」

ぐし、と目元に残った水分を袖で拭えばそれは彼にやんわりと止められ、そのかわり彼の鞄から出てきたタオルが柔らかく目元へあてがわれた。それと同時に、ふんわりと香った柔軟剤の香り。石鹸の、清潔な香り。…彼の香りは、なぜか落ち着く。それに顔を埋め、何度か小さい深呼吸を繰り返したのち、私は顔を上げた。

「…とうやくん」
「はい」

やさしいかお
笑ってるわけじゃないのに、なんか、安心する

…言ってしまって、いいのだろうか
こんな、優しい人に自分勝手な悩みを打ち明けて、いいのだろうか
やっぱり、言わないほうが…

「Aさん、良いよ」
「っ、話、聞いて、くれますか」
「はい、どんな話でも」

その日みた、彼の笑顔は木の葉の間からこぼれる夏の夕暮れの最後の光のような、ただ確実に、私が見た中で1番優しくして柔らかくて、甘かった。