零 ページ14
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濡れた瞳には、櫻井の後ろの三日月が、揺蕩うように映っていた。
折れそうに細い三日月は、どうしてか、大野の瞳の中に入ると、もっと折れそうに細く見えた。
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櫻井は、涙が落ちる瞬間を、ここまで近くで、繊細に見たことは無かった。
夜の涙は 青く透明で、
こんなふうに泣くのならば、彼は、誰か知らないが多くの人々に、好き好んで泣かされるのではないかと思ってしまう。
もう少し見ていたかったけれど、囚われた子どものように、首を小さく横に振りながら泣くのが、
あまりに可哀想だったので
櫻井は、散らばったメモ用紙の裏側に、文字を書いた。
【寒い?何か怖い?】
泣き止んでほしくて、おどけたふうに、ぱっと顔の横に出してみせた。
しかしそれは逆効果で、大野はもっと強くぶんぶんと首を振って、落ち過ぎた涙を、自分の袖で拭う。
櫻井は慌てて、今度は反対側に落ちているメモ用紙を拾って、その裏側に
【どこか痛い?】
と書いた。それも、さっきのメモと一緒に、じゃーんと顔の横に出してみたけれど、大野はそれでも、さめざめと泣いた。
寒くもなく、怖くもなく、痛くもないなら……と、櫻井は考えながら、今度はすぐ足元に落ちているメモ用紙を拾って、裏返そうと
大野から目を離して、地面に手をついたとき。
ふわりと、深い森のような香りが近づいて
大野の手が、頬を掠め、耳に届いた。
驚いて、顔を上げたら
涙を頬に貼り付けたまま、しんと静かに、大野は櫻井の目を見ていた。
右手を櫻井の左耳にかけて、何度も、存在を確かめるように触り
「……川の音がする」
まっすぐに、目を見て言う。
川の音がする?
櫻井は、ほんの少しだけ、ぐ、と肩を緊張させた。
川の音がする。そうかもしれない。そう言っているからそうなんだろう。だけど
そうかもしれませんね、と返事をするのか?それは会話として適切だろうか?
「寒くないよ」
返事を決めかねているうちに、大野は左手も、櫻井の右耳にかけた。
大野の手はひんやりとしていた。
「痛くもないし、…何も怖くない」
櫻井の頬を包むようにして、両手をあてがい、親指で耳をそうっと撫でる。
このあたりで一番 薄くて割れやすいガラス細工を触るような、丁寧で慎重なしぐさだった。
そうして、自分の身にものすごく酷い災難が起こったかのように、悲痛に顔を歪めて
「あなたの耳が聞こえない」
と言った。
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きんにく(プロフ) - イチさん» なんとー!そんなに大切に読んで頂けるなんて幸せすぎます。本当にありがとうございました。これからも頑張ります♪ (2021年1月18日 23時) (レス) id: 527827598f (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - もふもさん» こんな未熟な作品に涙などとてももったいないですが、嬉しいです^^そう言っていただけると頑張れます!ありがとうございました。 (2021年1月18日 23時) (レス) id: 527827598f (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - 律さん» 律さん、最後まで読んで頂いて本当にありがとうございます!心温まる最後にできていたのであればとてもとても嬉しいです♪ (2021年1月18日 23時) (レス) id: 527827598f (このIDを非表示/違反報告)
イチ(プロフ) - きんにくさん、こんばんは。最終回を読みたいのに、終わってしまうのがもったいなくて、ちょっと読んではやめを繰り返していました。毎回思いますが、きんにくさんの描く世界が美しすぎて、読んでいて幸せな気持ちになりました。ありがとうございました。 (2021年1月17日 21時) (レス) id: 9e72143338 (このIDを非表示/違反報告)
もふも - きんにくさん、完結ありがとうございます! きんにくさんのお話には毎回泣かされます(/ _ ; ) 心温まる場面が多くて、つい何度も読んでしまいます。素敵な作品ありがとうございました!これからも応援してます!!! (2021年1月17日 1時) (レス) id: f5de961c82 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2021年1月2日 0時