夕 ページ42
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夕暮れ。
窓を開けた縁側から、そろそろと朱色が忍び込んできていた。
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大野は畳の上で寝返りを打った。
縁側のほうに、だらんと落とした腕を伸ばすと、その朱色の陽が触れた指先から 温かく溶けてゆきそうに思えた。
ほ、と抜けたようなため息が漏れる。
心地の良い昼寝だった。いくつかの退屈な夢を見たような気がするのだが、どれも曖昧で思い出せなかった。
あくびと伸びを ひとつずつ、丁寧に済ませてから立ち上がって、後ろ髪にぴょんと跳ねた寝癖を直そうと思ったのだけれど
癖でぶんぶんと頭を横に振ったら、その拍子に忘れてしまった。
(まだ早いかな)
窓から、夕焼けに染まった温泉街を見下ろして思う。
街に下りるには、まだ明るすぎるかもしれない。
大野が宿に来て1週間が経った。よく外に出るようになった。
しかし昼間はあまり出歩かないようにしていた。とくに週末は。顔を見られることに気をつけろと、二宮に言われていたからだ。
(いいな…、綺麗だし…)
夕暮れ時、まだ闇のひとかけらも見えないうちの、純粋なオレンジの夕焼けが、大野はとくに好きだった。
あれを浴びて、静かな川沿いを、柳を眺めながら歩けたらと思うのだけれど
あいにくこの時間は、下校中の子どもや、風呂屋に向かう地元の人間や、旅館の浴衣を着た若い男女が、街を賑わせているのだった。
そういうわけで、この時間帯は、窓にぺたりと貼り付いて眼下の街をじっと眺めているか、縁側のほうで庭の落ち葉を数えるかしながら、日が落ちてしまうのを待つことになった。
だいたいは、様々な人間の往来(とくに子ども。ほとんどがランドセルを揺らして走って帰る)や、新しくどんどん落ちてくる落ち葉(いつ枝が空っぽになってしまうかハラハラした)に気を取られて、あっというまに夜は来るのだけれど。
今日もそんなふうに夜が来て、目の前が暗くなっていることに大野は驚いた。
窓から少しだけ顔を出して、目の前だけでなく、右も左も夜であることをしっかりと確認してから
少し急いで、浴衣を整え、茶羽織を羽織る。
部屋を出る前にさっきの寝癖を整えなければ、と一瞬 思い出したのにも関わらず、
羽織の前を、蝶々結びできれいに締めて、出来栄えに自分で頷いたら
その拍子に忘れてしまった。
それでそのまま、フロントまで出た。
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きんにく(プロフ) - 律さん» 律さん!こちらにも来ていただいて本当に幸せです〜ありがとうございます(泣)ご期待に添えるようなお話が書けたらなと思います! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - はるさん» はるさんはじめまして!お越しいただき誠にありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて幸せです♪がんばります! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
律(プロフ) - やっぱりきんにくさんの小説が大好きです!癒しです!続き楽しみにしてます! (2021年1月6日 19時) (レス) id: 820f2de8f4 (このIDを非表示/違反報告)
はる(プロフ) - きんにくさん、初めまして。素敵なお話ありがとうございます。これからも楽しみにしています。 (2021年1月6日 11時) (レス) id: 6cd0f843d6 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - satominさん» satominさんありがとうございます♪毎度毎度、恐縮でございます。おおお…私が読んでる本は暗くて長くて素敵な本です(笑)その人たちみたいに書けたらなあと思いながらなかなか…な日々です(笑)嬉しいことを聞いてくださってありがとうございました♪ (2020年12月28日 23時) (レス) id: 3c003d42b5 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年10月19日 16時