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足元に確かな衝撃。見下ろせば、齢五つほどの子供が尻餅をついていた。何が起きたのか理解が追いついていないようで、呆然とした様子で私を見つめていた。私の本音としては見知らぬ男児に構っている暇がないため早々に謝罪を済ませてこの場を立ち去りたいものだ。だがしかし。そうもいかないのだ。なぜなら私の視界の端にはひっくり返ったケーキの箱がずっと映っているからだ。明らかにそれは私が蹴り飛ばしてしまったものであり、この男児がそれに気がつくのも時間の問題……。
「うわあん」
思いの外早かった。泣き出したいのはこちらの方だが、大人の矜持として涙を飲む。母親への誕生日プレゼントだったと涙涙に語る男児をあからさまに邪険にするのも体裁が悪い。私は財布から紙幣を取り出し、男児へ差し出した。しかしそれは受け取られる事はない。
「お母さんが知らない人から物貰っちゃったダメだって」
なんとまあ聡明な子だろうか。紙幣を物と指す唯物論的なところは少々心配な面もあるが、それは正しい主張である。配慮の行き届いた教育であり、母の愛すら感じる。全く、親の顔が見てみたいものだ!
「ほなおいちゃんとケーキ買いに行こか。それでええんちゃう?」
「……うん」
なるほど、貰うのはダメだが買ってもらうのはいいらしい。抜け穴だらけじゃないか。
それから男児の手を引いてケーキ屋へ向かうが、その歩みの遅いこと、牛歩を通り越し蝸牛歩と呼んで遜色ない。仕様がなく、私は男児の了承を得て彼を抱えると安全に配慮して出せるスピードの最大限で走った。万年運動不足の上カフェイン中毒で鯨飲を繰り返す日々を送る私にとっては重労働である。不健康街道を歩く私にこのようなことさせないで貰いたいね。肺が悲鳴を上げるのを無視して走る。ああ、なんだか無性に、煙草が吸いたい!
「おじさん、ありがとー!」
そうしてたどり着いたケーキ屋で、子供はケーキを選ぶと私に無邪気なお礼を告げた。私は肺が痛むのを堪えながら冷静に返す。
「気ぃつけて帰りや」
「うん! ありがとう!」
そう言って駆ける彼を見送る。時計なんて確認せずとも前代未聞の遅刻である事は分かりきっている。しかしそれは先を急がない理由にはならないのだと、男児よろしく駆け出そうとした私は癖のように内ポケットを確認して凍りつく。指輪が、ない。

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