【ヒプノシスマイク短編集】惑溺

53.生活(夢野幻太郎) ページ5

痣がまた増えていた。視界にうつりこむ伸びた髪がうっとうしくて、でもきのうAに撫でてもらったことを思い出していとおしくなる。わたしは都合のいい人間だ。最早人間ですらないのかもしれない。みにくい生き物でしかないわたしは、いつまでも傷跡を愛と見紛っている。

心臓に消えないきみの跡がほしいんです。命すらきみに掌握されたい。死が二人を分かつともなくならない永遠の所有印があったなら、こんなに惨めな気分にもならないのに。きみは残酷で、絶対なぼくの女王。
弧を描く瞳の輪郭にいつだって踊らされている。A、A、と、俺はそう、情けなくか細い声できみの名を呼ぶけれども、きみは一度だって幻太郎と呼んではくれない。いじわるをするいじめっ子のように、その清廉そうな笑みでわたしをけがして、指先で擽ってまた遊ぶのだ。ぼくの脳が洗われてなにも考えられなくなったころに、きみは、愛していると云うんでしょう。うそつきの唇どうしが呼吸を奪い合って、ああ、愚かにもその瞬間だけは、ぼくの心臓は鼓動しはじめるのだ。

きみのためなら僕は死んだっていい、なんて、ありふれすぎている科白をこぼした。きみはまだ白い布の海に沈んでいた。いつもそうやって聞こえないふりでやり過ごすのだ。彼女は悪だ。ぼくの依存はAの手のぬくもりを欲しがって泣いている。もう戻れない。きみのせいで。
Aののこした傷跡の、存在を確かめるようになぞる。血と涙が流れた深夜を思う。そのゆがんだ行為こそが愛。他人に理解されなくていい、最低の恋物語におちるのが気持ちいいんだ。なんでもないような顔で、なんでもなく十本の指を絡ませて、射貫く、上目遣いの三白眼で、不毛に生きて死ぬ。
きみは悪だ。だがかわいそうなほど弱くもろい。だからぼくはきみの寄りかかるそれだけになりたいんです。

ぎゅうと締め付ける。ぼくらは傷だらけで沈みこむ。空気へしみこむ。
きみの涙が流れないようにぼくは血を流す。これが間違っているというのならば、どうか、どうか正しい愛を教えてください。Aの爪の先はまた皮膚を裂き、その下の、露呈するべきではない何かが咲く。ずきずき痛んで主張する傷どもが、ぼくに生まれる。不完全のまままた重ねてしまう。
ぼくたちはきっとこのまま、ずっとなにも変わらないだろう。心中なぞ夢のまた夢。地獄へ行くまでこのままなのだ。
ぼくのあえぐ泣き声を、Aは一瞥して、すこし笑ってくれたような気がした。

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