唯一なかったもの ページ8
ガタガタ揺れる電車の車窓から、滞りなく流れていく景色をぼんやり眺めていたら、気付けば自分の家の最寄り駅に着いていた。
何となく家に帰る気がしなくて、あたしは自分の部屋には帰らず、そのまま車に乗り込んで発進させた。
当てもなく走らせた車が向かった先は、きみくんの家。
突撃訪問にもかかわらず、たまたま家にいたきみくんは快く上げてくれた。
「……何かあった?」
いつもデリカシーのなさに磨きをかけているのに、
今日に限ってきみくんがあたしの異変に気付くものだから。
あたしは思い切り、当てもなく彷徨っていた感情もろとも顔面をきみくんの逞しい胸板に押し付けた。
「――分かんないよ、きみくん……」
あたしの意味深な言葉を、
きみくんは掘り下げようとはしなかった。
ただただあたしの頭に手を添えて、ゆっくりと撫でてくれる。
その掌の温度が、少しずつ、あたしを安心させてくれる。
気が動転している、という表現が近いのか、
それとも、ショックを受けている、というのが正しいのか?
何にせよ、
"へえ、そうだったんだ"
じゃ、済まされなかった。
記憶が2年ほど抜けていることは、勿論知っていた。
でも、忘れているのは、その間に食べた美味しいものとか、行った場所とか、買ったものとか、
そんなありふれた日常の欠片程度のものだと、
今のあたしに大きく影響を与えるほど大きな出来事はこの期間にほとんどなかったと、
そう言われたはずだった。
実際、事故に遭ってから今まで、記憶がなくて激しく混乱したことは、ほとんどなかった。
抜けている記憶があるのは少し辛いけど、すぐに色んな思い出で埋められる。
そう思ってた。
だけど、それは違くて。
あたしがのうのうと過ごしてきたこの期間は、
誰かにとっては罪悪感を抱いてきた時間であり、
また誰かにとっては必死に自分の感情を押し殺してきた時間。
あたしは、自分の恋人という、きっと自分にとって計り知れないくらい大きかったであろうその存在を、忘れていたんだ……
あの夜、あの人が初めてあたしの前で取り乱したのも
あたしの前で泣き出したのも
不意に抱き締められたのも
思い出すほど色んなことが繋がって、
あたしはあの人をどれだけ傷つけたのだろうと、
胸が痛くなった。
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渡璃凛(プロフ) - ○○さん» 長らく返信しておらずすみません;;; よろしければ引き続きよろしくお願いします。 (2021年5月7日 10時) (レス) id: 800f7c5fac (このIDを非表示/違反報告)
○○(プロフ) - うぅ苦しい辛い…泣。けどめちゃくちゃ展開がまた楽しみになりました!はあああ丸うううう泣 (2021年1月25日 20時) (レス) id: 155ff908a4 (このIDを非表示/違反報告)
渡璃凛(プロフ) - コメントありがとうございます。恐れ多いお褒めの言葉をたくさんいただいて嬉しいですしこれからもお付き合い頂きたいですしおすし(笑) 若干亀更新ですがよろしくお願いします。 (2021年1月25日 10時) (レス) id: 800f7c5fac (このIDを非表示/違反報告)
○○(プロフ) - 内容もありきたりじゃないし、読みやすいし聞き手側に想像しやすい表現ですし!変な関西弁じゃないですし!自然な感じで内容も面白くて急展開になってきてて面白いですね!(いやおすしって言わないんかーーーーーーい自分) あ、おすし← 次のページも楽しみにしてます! (2021年1月25日 3時) (レス) id: 155ff908a4 (このIDを非表示/違反報告)
○○(プロフ) - 面白いですね! (2021年1月25日 3時) (レス) id: 155ff908a4 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:渡璃凛 | 作成日時:2021年1月6日 14時