（黒）好きだから ページ9
〇 アイドルと一般人
〜〜〜
「……本気で、言ってんの」
綺麗な顔立ちも相俟って、初対面の人からは何かと冷淡そうに見られがちな彼。でも実は、人前でも憚らずに泣いてしまえる可愛らしさと、人間らしさがある。
『本気だよ』
今もまた、私と向かい合って座る彼は、息をするように自然に、ぽろぽろと涙を流している。
家の中だから誰かに見られている訳ではないけれど、私なんかは、例えば感動する映画やドラマを観ても、泣くまでに至ることはほとんど無かったから、そういう彼の素直な感性が本当に、羨ましいな、と思う。
「…俺のこと、嫌いになったの」
『…』
「そうって、嫌いだって、言えよ」
『……言えない、』
「…っじゃあ、何で別れるなんて言うんだよ」
喉がからからで、上手く声が出てくれない。それでも、伝えなければならないと自分を奮い立たせる。
『…好きだから、だよ』
目を見開いた彼の顔を、どうしても見ていられなくなって、俯いて自分の膝をぼんやり眺める。
「…何だよ、それ」
『…ごめんね』
「好きなら尚更別れる必要、無い、…」
『…私が耐えられないの』
「…」
『北斗の仕事、邪魔してるみたいで』
「邪魔したことなんて無いだろ」
『邪魔だよ、…北斗もわかってるでしょう』
今をときめくアイドルに実は恋人がいた、なんて、あまりにもありふれたスキャンダルだけど、もし明るみになってしまえば、デビューしたての彼にとっては、致命的なものになるだろう。
頭の良い彼のことだから、こんな誰でもわかるようなことが、わからないはずが無い。
『…大好き、だったよ』
机の上に合鍵を置いて、立ち上がる。世界でいちばん大切だったそれを手放した時、ようやく、涙が出た。
彼の横を通り過ぎるその瞬間、ぱっと腕を掴まれる。
「…これで最後にするから」
立ち上がった北斗の手が、頬に触れ、顔が近づく。
ほんの一瞬触れるだけの、これ以上無いくらい、苦しくなるくらい、優しいキスだった。
「…お前が泣いてるところ、初めて見た」
遠慮ばっかりさせてごめん、呟かれた言葉に返すことも出来ないまま、玄関へと歩き出す。北斗もそれ以上何も言わなかったけれど、それで良かった。
無機質なドアの音を合図に、また、涙が零れた。
〜〜〜
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作者名：春野菜
| 作成日時：2020年9月13日 18時
