現実より少しずれた世界で

落とし物 ページ30

今日も誰かがこの交差点で何かを落とす。スピード、マスコット、ストラップ、ハンカチ、携帯、財布、片方の靴、荷台に積んだ建築用の資材、そして命を、みんな気がつかないうちにぽろりと落としていく。

　明日は誰が何を落とすだろう。

　昨日は女子高生が可愛らしい花柄のレースがついた薄いピンクのハンカチを携帯を取り出すときに落としていった。

　一昨日はちいさな男の子が海からやって来た綺麗な白く薄い貝殻を持っていたバケツから一つ落としていった。

　一ヶ月前には黄色い傘と透明な傘をさした二人の小学生がまだ新しい角ばった消しゴムとちいさな穴が空いたどんぐりをそれそれポケットからぽろりと落としていった。

　一時間前にくたびれたスーツ姿の中年の男が金庫と書かれたタグのついた鍵を落としていった。

　そして今さっき歩き始めたばかりであろう女の子とその母親が、携帯に夢中になっている若い男が運転する車にはねられ、命を落として逝った。

　みんな落としたことに気がつかないで行く。落とされた物は運が良ければ持ち主が拾いに来る。もしくは別の人が拾って近くの交番に届けたり、他の人や車に踏まれない場所に移動させてもらえる。でもほとんどの落し物は人に踏まれ、車に轢き潰されて、壊れて形をなくして、風に吹き飛ばされてどこかに飛んで行ってしまうか、雨に流されて排水口に消えていく。

　それをそいつは黙って見ている。

　歩行者用の信号機にそっくりなそいつは、真っ直ぐにぶれることなく交差点の端に立ち、本物の信号機として存在し信号機としての役目を果たしながら、黙って毎日毎日飽きもせず人間や車をじっと見ている。

　その信号機を支える支柱は地面に固定されておらず、自由に動き回ることができた。地面に触れている部分が痛まないようにするためなのか、遠くからでも目立つような赤いスニーカーを履いており、たまに左右にゆらゆら揺れ、跳ねて交差点内を移動していた。

　いつも真っ直ぐ立っているが、交差点で事故があった時は落ち着きなく動き、交差点内をずっとウロウロしている。

　気がつくと交差点の事故があった場所の近くにいつものように真っ直ぐ立ち、信号の青を点灯させた。そこから十数秒経つとその場から十メートルほど移動しまた真っ直ぐ立つ。それを何度も繰り返して信号機はどこかへと行ってしまう。

　それは、まるで何かを案内しているかのような動きだった。

　あれから、信号機はまだ帰っていない。

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