＿ ページ3
学生時代からお世話になっているこの喫茶店に彼女がやって来たのは、肌を撫でる風が心地よくなってきた季節だった。
スーツ姿なのに着飾らないその印象ががやけに店にマッチしていたのを覚えている。
セミロングの髪、カフェ・モカを啜る仕草、どれもが店の雰囲気そのもので。
彼女はこの喫茶店の為に生まれたのかも知れない。
元々この店の雰囲気に惹かれた僕が彼女に惹かれるのにそれほど時間は要らなかったと思う。
「お待たせしました。珈琲とフレンチトーストです」
小気味な音を立てて置かれた、ふわふわのフレンチトーストに丁度良い苦味の珈琲。
角砂糖は二つ。
後ろの彼女が、顔をしかめては此方を見やって一生懸命珈琲を飲んでいたのを見たから。
本当はブラックでも飲めるんだけど、真似てくれているならば嬉しい、なんて。
名前も知らないその人がどうしているのか、振り返る勇気はまだない。
「チーズケーキ美味しかったです、また来ますねー」
「あ、はい！ありがとうございましたー」
セミロングの彼女は、店員と会話を交わしながら会計を済ませて店を後にする。
鈴の音を背に僕は珈琲を啜るけれど、なんだか砂糖の量の割に甘さが感じられない。
本人が居ない今だから、彼女の席を振り返って見てみる。
ソーサーの上のカップの傍に、光を反射する何かがあった。
眼鏡越しに目を凝らせば、それが鍵の形をしていることがわかった、瞬間。
椅子に置いた荷物も焦る店員の声も置き去りにして、鍵を片手に脇目もふらず外へ飛び出す。
今ならまだ彼女が見えるかも知れない。
必死に辺りを見渡せば、交差点に向かう彼女の小さな後ろ姿が揺れていた。
必死になる理由は明確には分かっていないが、これを逃すともう彼女と親睦は深められないという直感があった。
人通りの多い大路から幾つも曲がっていく彼女を、僕は数メートル離れて追う。
「あの」
とある青屋根の一軒家の前で、セミロングの彼女は振り返る。
「鍵、届けに来てくれたんですよね？」
彼女の顔には、初めの頃の印象の物静かな大人びた笑みとは違った、小悪魔染みた微笑みが浮かんでいた。
「ごめんなさい。鍵を置いていったのはわざとなんです……でも」
届けてきてくれたってことは＿＿
そう言い終わる前に、彼女に近づき鍵を手渡していた。
「ええ、期待して良いですよ」
話車に乗るだけの僕は、甘党な彼女よりお子様。
これからも、珈琲は甘いあまい味。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 131人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「短編集」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
杠-ゆずりは-@発狂同盟 - 山さん» あっ、迷走してらしてるんですね…私は、最後にきっぱり片付ける文(？？？)というものが好きでして…w特にfkrさんの誘拐(？)の話みたいな終わりかたが好きなんです〜あっ、ご丁寧にどうも…此方こそお世話になります(？) (2019年10月8日 21時) (
レス) id: 550abac7bf (このIDを非表示/違反報告)
山(プロフ) - 杠-ゆずりは-@発狂同盟さん» 了解しました。とても素敵なシチュ……おみそれしました(謎) 個人的に完結方法に迷走する中、そう言って頂けると大変自信に繋がります。どうぞ続編でもご贔屓に(??) (2019年10月8日 21時) (レス) id: c5ddeb2343 (このIDを非表示/違反報告)
杠-ゆずりは-@発狂同盟 - 山さん» いや、まぁ…全部好きです((((尊いことに変わりはないのでおっけーです(((り、リクエスト…！私はkwkmさんが大好きなので、夢主ちゃんが振られたあとに慰めて付き合う…的な…？(語彙力なくてすみません)のがみたいです！検討していただけたら幸いです…！ (2019年10月8日 21時) (レス) id: 550abac7bf (このIDを非表示/違反報告)
山(プロフ) - やまうみ。さん» 了解致しました。区切り上続編でのご提供となりますのでご了承下さい。 (2019年10月7日 21時) (レス) id: c5ddeb2343 (このIDを非表示/違反報告)
やまうみ。 - 先程はありがとうございました(土下座) 浅紅に嵌まれ大好きです。山様のガチ勢ですのでリクエストします(？) どこか儚く消え行きそうな夢主ちゃんをymmtさんが好きになるお話が見たいです。エンドは恋に落ちるところでも結ばれるところでも。シチュはお任せします。 (2019年10月7日 21時) (レス) id: e8e6962fde (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
