それでもいいんだよ(３) ページ3
―――スマイルは笑う。大人しく腕の中に納まるAを見て笑う。己に触れられてくすぐったそうに身を捩る彼女を見て感慨深そうに嘆息する。
この、いささか警戒心にかける彼女と一緒に暮らし始めたのはひと月ほど前からだった。Aはひと月より前の記憶がない。所詮記憶喪失というやつである…それも、不幸な。
初めてAと知り合ったのは三年ほど前のことだった。よく顔を合わせることのあった彼女と色々あって話をするようになり、それがきっかけで彼女という人間に惹かれていった。
一年という時間を経て付き合うようになった自分たちは、平々凡々でも楽しい日々を送っていた。勿論、口喧嘩をした時もあったし、他の誰かに目移りしてるんじゃないかと疑ったり疑われたりもした。
それでもあの日々は、何にも代え難く尊く、幸せなものだった。―――あの日までは。
「付き合って二年目の記念日だから、スマイルの好きな料理を作って待ってるね。」―――あの日の数週間前にそう約束して、当日自分は死に物狂いになって仕事を終わらせた。
既に時刻は八時近く、七時頃には帰るはずだったのにと、急遽舞い込んできた案件を睨みつけた。そんなこんなで何とか一時間遅れでAの家に着いて、インターホンを押した。
そして、三十秒ほど経っても何の反応もないことに、言いようもない嫌な予感がした。焦燥と共にドアノブを捻ると、ドアはすんなりと開く。何もないと思いたかった。俺を驚かせようとしているのかとも考えた。
暗い廊下を早足で駆けて、リビングのドアを開けた。そこには冷酷な現実が横たわっていた。
―――っ。
一瞬、何もかもがわからなかった。頭部から血を流して倒れ伏すA、暗い部屋、散らかった戸棚、そして…机の上で冷めたままの料理。
激しく脈打つ己の拍動音は耳について、冷静さを奪ってゆく。
こんなときこそ冷静にならなくてはならないのに。スマイルはいつも冷静でかっこいいねと彼女に言われたのはいつだったか。聞いて呆れる。
俺は急いでAに近寄った。耳をすますと、苦しそうな彼女の息遣いが聞こえた。
―――生きている、Aはまだ生きている！
そのあとは最早無意識的に救急車と警察を呼んだ。Aは腕をだらりと垂れ下げたまま担架で運ばれていき、己は第一発見者として事情聴取を受けた。
聴取の間ずっと、最後に会った時の彼女の笑顔が頭にこびりついて離れなかった。
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作者名：Entero-spiro | 作成日時：2019年2月13日 14時
