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服や髪が海風に吹かれて乾きはじめた頃、私はミンギュと別れて家路についた。空がじんわりと薄紅色に染まると風に乗って、どこからか醤油を煮詰めるような甘い香りが漂ってくる。夕暮れ時の匂い。


車道の端っこをとぼとぼと歩いていると、ふいにミンギュの言っていた言葉を思い出して、それを口に出してみる。



「…自分を騙す、か」



さっきミンギュには話さなかったけれど、商社マンの彼と付き合い始めて一年半が過ぎた頃、彼に別の女がいることを知った。いや、正確に言えば、確信した。物的証拠には乏しかったけれど、私の中では間違いなく黒だった。

それは、とある週末のこと。彼の部屋を掃除していた時に枕の下から小さなピアスが出てきた。輪っか状のデザインに、淡いピンクの石がきらりと光る。どう見ても女物だった。

もし、単に耳から外れてしまったのだとしたら、輪っかが半開きになっているはずだけどご丁寧にかちっと音が鳴るまできっちり閉じた状態で、枕の下に意図的に隠すようにしてあった。その不自然さからこれが相手の女の宣戦布告であると直感した。


胸の奥がひりひりと痛む感覚を覚えながら、そのピアスを掌の中で転がした。デパートで買ってきた惣菜をキッチンで温めている彼のもとへ走って行って、誰のものか聞けばいいのに何も聞けなかった。問いただしてしまったら、全部崩れる気がして。自分だって嘘を吐いているくせにと反旗を翻されそうで聞けなかった。

部屋はいつも通りだった。窓際のカーテンは揺れ、ベッドサイドには彼が読みかけのビジネス書が置かれている。けれど、そこにあるべきでないものがひとつ紛れ込んだだけで、すべての景色が冷たく見えた。自分自身も彼に嘘を重ねてきたのと同じように、彼も私に嘘を重ねていたのだとやっと理解した。目の前にある事実は苦しさ以上に虚しさをもたらすようだった。

それでも、私は別れを選ばなかった。見なかったことにした。彼への愛情がどうしようもなく深かったとか、未来を見据えて覚悟を決めていたわけではない。ただ、ひとりぼっちになるのが怖かった。都会の冷たさの中で、また独りになるのかと思うと、その寒さに耐えられなかった。

ミンギュの言葉を借りるなら、これもまた自分を騙していたと言えるのかもしれないと思った。今思えば、こんな風に私は自分自身をも何度も裏切ってきたような、そんな気がする。

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ばくちゃん(プロフ) - りりさん» りりさん、ありがとうございます (3月3日 0時) (レス) id: d467c90aec (このIDを非表示/違反報告)
りり(プロフ) - すごく好きです、更新楽しみにしてます、出てくる4人全員好きです。お母さんも好きです。元彼は多分好きにならなさそうです (3月2日 12時) (レス) @page47 id: 1885eeea1a (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:ばくちゃん | 作成日時:2025年1月13日 16時

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