白い祈り (ページ29)

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奥邑さんはハッとした顔で鹿島先生を見る。

『まさか、この人のウィルスが…。』

『C型肝炎ウィルスまたはHCVウィルスと言うんですけど、通常の接触や唾液くらいでは感染しないんです。ほぼ血液感染ですから平成４年以前の高度な検査を通していない輸血や注射器などの使い回しで感染していたみたいですね。
現在では若い人の間で刺青針やピアスの穴開けの針、深い関係になる時の傷などでも感染者が出ているそうです。

きっと心当たりがあるんですね？医師のあなたがそう判断できるほどはっきりとした心当たりが。
だからご自分がC型肝炎と分かり、彼女の心筋症を引き起こしたのは自分から感染したHCVウィルスだと思った…。』

『…うっ…ぐ……。』

耐え切れなくて嗚咽を漏らす鹿島先生が紙コップを握り潰す。ひしゃげたコップから流れ出すコーヒーが彼の肘まで流れ込むのも構わず、彼はコップを取り落として両手で顔を覆った。
指の間からはまだコーヒーと混じった液体が流れ出してくる。

どんな心当たりかは訊く気もない。
そういう男性と女性のアレでなくとも、深く口づけた時に口内を傷付け合ってしまったとか、傷のある指で血液を触ってしまったとか、流血騒ぎの痴話喧嘩なんて話もあるからだ。
鹿島先生の記憶に刻まれた感染経路は、彼と彼女にとって忘れられない恋の思い出だったのだろう。

『い、いつも…恵理は頑張っていたんだ！別れたのだっ…て、嫌いになった訳じゃ…僕が新病院に誘われているからって…お互いにいい仕事を…夢を追うって約束した。
なのに…っ！僕が死なせたっ！！僕が殺してしまった！』

咽び泣きながら途切れ途切れに聞こえる告白。

しばらくの間、鹿島先生か己の心に閉じ込めていた後悔と呵責の念、長らく溜め込んだ涙はとめどなく溢れ続けた。

『恵理…！く、僕のせいだ！僕の……。』

その嗚咽を聞きながら、俺と奥邑さんは無言のまま床に彼がこぼしたコーヒーをクロスで拭き、コップを片付ける。

茶色に染まったカウンタークロスは鹿島先生が落とした涙も吸い取ってくれるだろうか。
今、彼に掛けていい言葉をまだ俺は知らない。
勿論じっと見ているのも胸が痛むから、とにかく何か動きたくて。

それは奥邑さんも同じ思いだったのだと思う。
彼もなんだか憂いを帯びた表情だったからだ。

俺は相原さんが亡くなった時泣いた。たくさん泣いた。初めて自分が担当した患者さんの死を経験して、自分の無力さと彼女の生き様に涙が止まらなかった。