色戀、召しませ。 (ページ2)

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“IDチェックなんてされないから”と、あの子が言ってた通り、ほぼスルーで会場に入れた。

所謂、関係者席。

携帯の電源を落として、少し浅く座席に腰掛けた。

いつもこの時間はドキドキする。

海の向こうのアーティストが目の前に現れるのだから。

フライヤーに目を通して開演までの時間を潰していた私の左隣に、ストンと人の気配が落ちた。

目が微かにピクッとしたのは、気配で男性だと分かったのにあまりに香水の匂いがしたからだ。

少しだけ顔を左に向けて、私はすぐにもとに戻した。

…………隆二だ。

な、何しに来たんだろ。

いや、ライブ観に来たんだよね。

本当に隆二か？もう一回だけ見てみようかな…………いや、やめとこ。

それだけブツブツと頭の中で考えて、私は彼に纏わる思考を遮断させた。

どちらが大事かと言えば今から出てくる好きなアーティストだ。

私は隆二の声が好き。

隆二の外見でも、あの声じゃなかったらファンにならなかった。

全然別人の外見でも、あの声ならファンになってた。

隣に居てもドキドキしない私に、それはファンじゃないと誰かが言いそうだけど。

会場が暗転して、再び照明が点くまで私はすっかり彼のことなど忘れていた。

忘れていたのに────

うっとりしたまま立ち上がって、座席に置いたカバンの中からマフラーを取り出した私に、

「これ、違いますか？」

と、“あの声”が聞こえた。

パッと振り向いたら、チケットの半券を遠慮がちに指で摘まんだ彼が立っていた。

覗きこむように半券を見たら確かに私の落とした物。

「あっ、私のです。すみません、ありがとうございます」

目線を上げて軽く会釈したら、彼も真似するように軽く頭を下げた。

“どういたしまして”と“では、これで”が合わさったような会釈。

120分近く同じ空気を吸っていた私たちは、30秒ほど向かい合って5秒ほど目を合わせた。

それだけだった。

私はマフラーから沸き上がった静電気がくすぐったくて首を少し振って

彼とは反対の出口に歩いていった。