. ページ8
会社に戻ると、先に帰ってきていたセンラがちらりとこちらを見て
「顔きしょいで」
と言った。
「うっさい。余計なお世話」
センラの顔も見ずにそう返せば、間髪入れずに次の言葉が飛んできた。
「会えたん?」
誰に、とあえて言わないところはセンラなりの配慮なのだろう。そういうところはさすがとしか言いようがない。
「うん」
営業同行だったけど、今夜のデートの約束もしたし、同じ車で会社まで帰ってきたの。そんなことは言えるはずもなかった。もちろん、そんなことを話せる場でもなかったし、今日の日報を提出して定時であがるほうがいまの私にとってはよっぽど重要な事だった。
「ドタキャンされたこと、怒ったん?」
パソコン上の図面とにらめっこしながら、たいして興味もなさそうにセンラはたずねた。
私は彼の顔も見ずにパソコンを起動させて、会社のシステムを立ち上げて営業報告を打ち込んでいく。
「まさか。そんなことしてない」
だって、彼の顔を見たら、声を聞いたら、体温を感じたら、そんなことすっかり忘れてしまう。
浦田さんからの言葉や行動に悲しくなることはあっても、腹を立てることなどない。そんなこと、私の立場であってはならない。
「あっそ」
センラはもう興味を失ったかのようにそう相槌を打った。
「じゃ、お先」
定時ぴったりにセンラにそう言って席を立つ。浦田さんとの待ち合わせに遅れるわけにはいかない。せっかく、彼が誘ってくれたんだから。
「んー」
彼は図面に集中しているようで、生返事が返ってきた。さっとカバンを持ってタイムカードをきる。会社を出る前にトイレに寄り、化粧をなおして、髪も櫛で梳いてから外に出た。
秋の風が吹いて、夜は肌寒い季節になってきた。まだマフラーをつけるほどではないけれど、上に一枚欲しいくらいの気温だ。
待ち合わせは会社の人たちにバレないよう、少し離れた駅近くの公園。5分前に到着すれば、すでに彼はそこにいた。
人通りの少ない、大通りから1本外れたところにある公園には、彼しかいない。子供たちはもう帰ったようだ。
「渉さん」
ふたりきりのときだけしか呼べない呼び方で彼を呼ぶ。その甘い響きに、胸がきゅうっとした。
「すみません、お待たせしました」
慌てて駆け寄れば、渉さんはスマホに落としていた目線をパッとあげた。そして私を捉えると、にこっと笑う。
.
488人がお気に入り
この作品を見ている人にオススメ
「歌い手」関連の作品
感想を書こう!(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
あ(プロフ) - 初コメ失礼します。りひとさんの作品がとても大好きで過去作品も全て読ませて頂いております。続編もぜひ読みたいのですが、パスワードをお教えしてもらうことは出来ますでしょうか...?何分仕様が分からず、この場で聞くこと自体間違っていたら申し訳ありません。 (2021年2月10日 1時) (レス) id: e8d9509923 (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - あすかさん» 返信遅れてすみません。コメントありがとうございます。更新頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。 (2020年12月14日 21時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
あすか(プロフ) - 初コメ失礼します!めちゃめちゃ面白くて見る度に評価押しちゃいます(笑)今1番を楽しみにしている作品です!更新頑張ってください(T_T) (2020年11月5日 21時) (レス) id: a6330c149b (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - いずりすさん» ありがとうございます。いつもと違うテイストに挑戦するので私自身もどきどきしています笑お楽しみいただけるよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。いずりすさんも体調には気をつけてくださいね。 (2020年10月14日 22時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - Quuさん» ありがとうございます。お楽しみいただけるよう頑張ります。Quuさんもお体に気をつけてくださいね。今後ともよろしくお願いいたします。 (2020年10月14日 22時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ