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部屋にひとり残された私の心には、普段感じる以上の寂しさが溢れた。
渉さんの爽やかで優しい匂いのする、まだ少しだけ体温の残ったシーツは、彼がついさっきまでここにいた事実を示している。
彼は、永遠を誓い合った人のところへ帰ってしまった。みんなの前で、彼を堂々と「渉」と呼ぶことが許されている人のもとに。いや、今日は奥さんは実家に帰ってると言っていたから、帰ってもひとりなのかもしれない。
それでも帰ろうとするのは、渉さんがまだ奥さんを愛しているからだ。
渉さんが唯一愛しているのは奥さんだと分かっているし、私がそのストレスの逃げ場になっているのも理解している。それでも、いつかは私のところに来てくれるのではないかと、微かな希望を捨てきれずにいる。
渉さんはまるで、私を愛しているかのように熱をぶつけてくる。思わず勘違いしたくなるが、彼は私の体に印は絶対に残さない。
きっと、奥さんとするときにはそんなことないんだろう。
うらやましくて、妬ましくて、けれどそれを口に出すことすらできない私は臆病者だ。
彼に嫌われたくない。面倒だと思われたくない。
だから私はいつだって、傷ついていないふりをし続けなければならない。彼が申し訳なさそうな顔をする度に、そんな顔するくらいならもっと一緒にいてよ、という言葉すらも、飲み込んでいなければならない。
会う約束が突然ダメになったときも、奥さんに呼ばれて私の元から去ってしまうときも。
どんなことがあろうとも、事情を理解して納得してるみたいに微笑みを浮かべて「分かった」と頷かなければならない。
私の立ち位置は、そういうポジションだ。
シェイクスピアはどこかの作品の中で
「世界は舞台だ。誰かが一役、演じなければならない。自分の役は、泣き男といったところだろう」
というセリフを書いたが、私はまさにそれだった。
渉さんと奥さんが結ばれて、私はそれに嫉妬する泣き役。幸せにはなれない脇役。それが私なのだ。
でも、そんなこととっくの昔に分かっている。
それでもいいと彼に縋ったのは他の誰でもない私なのだから。
渉さんの家庭で抱えるストレスを受け入れ、体を重ねるだけの関係。彼の腕の中で体温を分かち合う時間は極上で、手放せないまま今に至っている。
突然鳴りだした音に、私は我に返った。
枕元で震えているのは、私のスマホだ。
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あ(プロフ) - 初コメ失礼します。りひとさんの作品がとても大好きで過去作品も全て読ませて頂いております。続編もぜひ読みたいのですが、パスワードをお教えしてもらうことは出来ますでしょうか...?何分仕様が分からず、この場で聞くこと自体間違っていたら申し訳ありません。 (2021年2月10日 1時) (レス) id: e8d9509923 (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - あすかさん» 返信遅れてすみません。コメントありがとうございます。更新頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。 (2020年12月14日 21時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
あすか(プロフ) - 初コメ失礼します!めちゃめちゃ面白くて見る度に評価押しちゃいます(笑)今1番を楽しみにしている作品です!更新頑張ってください(T_T) (2020年11月5日 21時) (レス) id: a6330c149b (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - いずりすさん» ありがとうございます。いつもと違うテイストに挑戦するので私自身もどきどきしています笑お楽しみいただけるよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。いずりすさんも体調には気をつけてくださいね。 (2020年10月14日 22時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
りひと(プロフ) - Quuさん» ありがとうございます。お楽しみいただけるよう頑張ります。Quuさんもお体に気をつけてくださいね。今後ともよろしくお願いいたします。 (2020年10月14日 22時) (レス) id: d056bbadb9 (このIDを非表示/違反報告)
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