29.自室 ページ29
パン屋の開店は朝五時半、準備があるので出勤するのは五時。ここから職場までの距離は然程遠くはないが、四時には基地を出なくてはならないので、食事を摂るのは三時過ぎといったところか。
その時間なら誰もいないだろうし、後片付けまでしてしまえば飲み物だけでもバレないだろう。
自室に戻ってアラームをセットしながら考える。
一応書き置きは残していこう、逃げたなんて思われたら面倒だし。
「……」
さて、考えなければならないことがある。
どうして彼らが、ここまで私に手間をかけようとするのか。
私が有用だと見込んだから? 否、それならば寧ろ、経歴からしてスパイである可能性を疑うべきだ。
しかも私は女だ。女が軍人を籠絡してそれとなく情報を引き出したり、共に夜を過ごした際に寝首を搔いたりなんて珍しい話ではない。
いくら総統閣下と書記長様の眼を信頼しているといっても、幹部十三人が誰一人として私を警戒する素振りを見せないのはおかしい。
今だってそうだ、天井にも床下にも扉の向こうにも、誰の気配も感じない。
監視カメラや盗聴器は其処彼処に付けられているだろう、恐らく今もロボロさんか鬱先生が監視しているはずだ。でも、それだけでいいのか。
グルッペンさんは、自分を殺しに来た人間をどうしてああも簡単に受け入れた? トントンさんもだ、言いくるめられていたとはいえ、前例があったとはいえ、せめて誰に依頼されたのかくらいは聞き出して然るべきだ。
彼らの大好きな戦争の、恰好の火種になる情報なのだから。
「……誰だっけ」
私に依頼したのは、誰だっただろうか。
そもそも私の生まれはW国だ。数年前からα国に拠点を置いていた。ただしその国に仕えているというわけではなく、β国やθ国、そして時にはW国の人間からも依頼を受けてきた。
グルッペンさんがクーデターを起こし、総統になったのは十年ほど前のことだ。その騒ぎに乗じて酷く治安が荒れたその頃、私はこの国の貧困街で暮らしていた。元から治安が良くないということもあるが、そこではさして変わりない日常が続いており、空き缶や空き瓶を拾ったり、闘鶏に使う鶏の世話を手伝ったりしてお金を得る日々だった。
別段それに疑問を抱くことはなかったし、隣近所の人々は、貧しくとも優しかった。仕事を手伝った対価に食事に混ぜてもらうこともあったし、教育を受けられている子供たちに読み書きを教えてもらうこともあった。
盗みも殺しも、したことがなかった。
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陽乃(プロフ) - 黒猫さん» コメントありがとうございます、黒猫様の御趣味に添えられたようで嬉しい限りです。続編ものんびり書いておりますので、楽しんでいただければ幸いです。 (2020年5月29日 16時) (レス) id: 89afdb7f98 (このIDを非表示/違反報告)
黒猫 - 全て見させていただきました。俺はこういう作品が好きなので、とてもいい気持ちになりながら見ていました。神作品をありがとうございます。 (2020年5月21日 10時) (レス) id: 0779f5a88d (このIDを非表示/違反報告)
陽乃(プロフ) - (名前)さん» コメントありがとうございます。建物の設定は実在する基地や城塞、そして仰る通り大脱走など御本人たちの動画を参考にした部分もありますね。気づいてくださって嬉しいです。 (2020年4月12日 21時) (レス) id: 4760b364cd (このIDを非表示/違反報告)
(名前) - 9の途中まで見ました〜なんかPX、商店、、かな?みた途端、大脱走元にしてるんかなって思ったーーー!!実際どうですか?本当に大脱出が元だったら、、違うくても、話の作り方、うますぎる… (2020年4月12日 19時) (レス) id: ca685f05f7 (このIDを非表示/違反報告)
陽乃(プロフ) - 黒胡椒さん» コメントありがとうございます、のんびり更新していきますのでよければお付き合いください。 (2020年4月4日 3時) (レス) id: 4760b364cd (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:陽乃 | 作成日時:2020年3月16日 17時