94 慟哭の行方 ページ44
私はすぐにバイオリンと弓をケースに戻す。
昔は難しいと思っていた曲が意外にもしっかり弾けたことには驚いた。手が大きくなったからだろうか。
「やっぱりAのバイオリンの音色は本当に綺麗だ。感情に流されず、力強くて。俺の弱々しいピアノなんかとは、とても比べ物にならない」
蓋を閉めようとして、そのままの体勢のまま振り向く。
神童はピアノ椅子に座ったまま、右手で鍵盤をなぞっていた。口元には自虐的な笑みが浮かんでいた。
──今、何を、言って。
「だから釣り合わないって言われた時も……ああそうだろうなって思ったんだ。俺との演奏に嫌気がさしたんだろう？」
嫌味、じゃない。神童の目は本気だった。
言いようのない絶望感が暗雲のように頭上に覆いかぶさってきた気がした。
逆だ。なんで、そんな考えになるんだ。違う。
「違う……」
立ち上がり、詰め寄る。
「釣り合わないのは私の方。私のへったくそなバイオリンは神童の完璧なピアノに相応しくないって、そういう意味で言ったの」
神童も弾かれたように立ち上がった。
「神童の演奏が弱々しいわけないじゃん……技術力も表現力も上達速度も、全部私の上を行ってた。私の平凡なバイオリンじゃお荷物になると思って釣り合わないって言ったの」
「お荷物だと思ったことはない！ むしろ俺の演奏の方が……あんなの、先生に気に入られるためだけに弾いてたようなものだ」
「たとえそうだとしても私はそのピアノのプレッシャーに押し潰された！ 周りの大人は神童の方を評価してた。それが現実だった！」
言いながら激昂し、神童の両肩を掴む。
掴んで、そのままだった。視界がぼやけていく。これは何の涙だろう。
まさか、そんな。
──お互いが、自分の演奏に価値はないと思い込んでいたというのか。
そうして五年間もすれ違い続けていた。どうしようもない思いを抱えたまま。
「……はは」
今度は笑いが込み上げてくる。滑稽だった。
幼い日の私たちがあともう少しだけ歩み寄っていれば、未来は違ったのかもしれない。仲違いせずに済んだのかもしれない。
立っていられなくなってへたり込む。神童も私に引きずられるように、床に膝をついた。
青寒い虚無感が全身を支配していた。二人して、しばらくそのままの姿勢でいた。
「A」
呼びかけられ、のろのろと顔を上げる。
そこには真剣な表情があった。
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作者名：キメラ | 作成日時：2022年2月15日 9時
