蜘蛛の糸、二十一本目 ページ22
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「その時男は、初めて、老人の言いつけを遠く忘れ去った。
両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、『お母さん』とだけ叫んだ。
そこで、男を取り囲んでいた『幻』の気配は過ぎ去った」
絵描きの男の子は、青白くなった唇を懸命に震わせ、龍之介の話を聞いていました。
彼を全身で覆い囲んで温める少年もまた、彼の話が最後まで終わるまで、きっと聞き遂げさせようと腕に強く力を込めました。
「仙人は、涙を落として震える男の顔を意地悪い笑みで覗き込んだまま、
『仙人になる気はまだあるか』と訪ねた。
男は黙って首を振った。
仙人になることよりも、人として在ることを望んだのだ。
その意思を老翁はいたく尊び、只人として生きようとする青年の決意を笑顔で喜んでいた。
母をよばわなくては、その場で男を殺していたとさえ言い出したからには、その喜びようの真剣さはきっと伝わるだろう。
………金持ちにも、仙人にもなることを放り出した青年は、
世の中にありふれた凡庸な生活に戻っていったということだ」
それは嘘と呼ぶにはあまりに美しく、虚構と呼ぶにはあまりに出来すぎた、完成された一つの物語でした。
―――それはもう、私の知る『杜子春伝』ではなかったのです。
冷たくて、不道徳的で、心の奥底が凍りついたような人間の書いたお話などではなかった。
古びた古典の化石が息を吹き返したような、血の通った物語だったのです。
そんな気さえするほどに、優しい物語だったのです。
「…りゅうちゃん、 ぼくも、」
遠くで、か細く震える子供の声がします。
常に明るく響く天真爛漫な男の子の声が、やけに重苦しく響きました。
しかしそれは、やっと誰かに悲しみを打ち明けられるようになった、安心しきった子供の声でもありました。
「ぼくも、おと、さん…おかぁさん、が、ひどいこと、されてたら。
たすけて、あげられるかな」
彼が孤児院の生まれであったことを思い出した頃には、私の意識は再び、望まぬ深い暗闇に囚われていきました。
「ゆるして あげられる?」
そう、でした。
たしか、彼には、左足首から先が足りなかった。
けれどもその脚を……奪ったのは、彼の。
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伊織 - もう好き...!最後ウルっときましたよ。というか泣いちゃいましたよ。ほんと構成がお上手で...。芥川先生の作品たくさん使ってるの凄い好きです。千代の方も読んでるのですが作者様天才ですね。感動作品をどうもありがとうございます...! (2021年5月22日 18時) (レス) id: 399c3e6058 (このIDを非表示/違反報告)
アバンギャルド・マボ(プロフ) - コメントありがとうございます!!初めて書いた女主人公が蜘蛛(雌)ェ……とはいえ、実は人間だった頃が誰なのか、モチーフが居ますので、もしも暇だったら蜘蛛の前世当てクイズに挑戦してみてください笑笑 意外にも多くの方に読んでいただけて嬉しい…(芥川はいいぞ…) (2019年4月2日 11時) (レス) id: ea18c173c6 (このIDを非表示/違反報告)
多田野メガネ(プロフ) - どうも多田野です。千代の記以外の、それも女(雌?)主人公が新鮮でした(°▽°)突然の告白ですが、所々に芥川作品要素を垂らしていくマボ様が好きです。 (2019年3月27日 13時) (レス) id: d89d5986ef (このIDを非表示/違反報告)
アバンギャルド・マボ(プロフ) - ありがとうございます!!何も考えずに三時間で書いてみるチャレンジで、殊の外うまく書けたものなので完結させてみることにしました笑笑ギャグシリアス、展開などこれっぽっちも考えず、思いつきで書いております。とても短いお話ですが、最後までお付き合いください! (2019年3月25日 16時) (レス) id: ea18c173c6 (このIDを非表示/違反報告)
柘榴※惰眠愛してる(プロフ) - 新作おめでとうございます! (2019年3月25日 0時) (レス) id: cf0e41908a (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:アバンギャルド・マボ | 作成日時:2019年3月25日 0時