モラトリアム・ホリック ��

心馳 ページ34

電話を切って、

頰を濡らしていた雫を拭いて、

振り返って駆け出す。

別に走る必要なんてないのに、走らずにはいられなくて、走る。

大事な人から世界で1番心強い"いってらっしゃい"をもらって、それを心の底から信じて、あたしは彼じゃない人のところへ駆け出す。

なんだか本当に、なんの心配もないのが不思議。不安も後悔もなにもない。

すべてすべて、照のおかげ。

また一粒勝手に溢れた涙を拭って。

あぁ、翔太に会いたいな。

たった今大事な人を振ったばかりで、都合がいいだとか自分勝手だとか。もうそういうの、思わないことにした。

だって好きだもん。そりゃ会いたいよ。
余裕なんてあるわけない。だって好きだから。

もうそれだけでいいじゃん！

冬先の少し尖った風が肌を滑っていく。はやる気持ちと上がる心拍で体が内側から火照って、その温度差でまた涙が出る。

走るのなんてめちゃくちゃ苦手なくせに、全然足を止める気になれなくて、あっという間に橋が見えてきた。

ここにくれば、翔太に会えるから、幸せになれるから、きたよ。

背中でわかる。

浮かない顔してるのが、背中でわかるよ翔太。

「………翔太っ！」

あたしの声に、浮かない背中はハッとして振り返る。

翔太だ。知ってたけど。でも翔太がいる。

毎日顔を合わせて、毎日挨拶して、毎日一緒に暮らしてるはずなのに、会いたくてたまらなかった翔太がいる。

渡「………、A、なんで、」

なんでって。

翔太が言ったんじゃん、会いたいって。

上がった呼吸を必死で整える。体が内側からじわじわ熱い。

「はぁっ……あたしも、会いたかったからっ……きたっ！」

翔太が信じられないものを見るような顔で、呆然とあたしの名を口にする。

やめてよそんな顔、走って来たけど、そんなに乱れてないはずだよ。ちゃんとおしゃれしてきたもん。

その顔が、色んな感情でごちゃ混ぜになってる時のだって、ちゃんとわかってるけど。

渡「……A、お前、」

「………うん」

渡「え……なんで、」

「だから…会いたかったからきたの！ 翔太が呼んだから！ きた！」

呆然とする翔太が可愛かったから、大っきな声でそう言って、ニッコリ笑ってやった。

翔太はたっぷりの間思う存分呆然とした後、

やがていつもの特徴的な笑い声で、白い歯を見せて笑った。

消える目と、眉間に寄るシワと、垂れ下がる眉。

あーやっぱり、ここに来たら、幸せがあった。

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