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『亡くなった人の記憶で、一番最初に忘れてしまうもの。何か知ってますか?』
夕暮れ時のこの時間。喫茶ポアロが暇になる一時である。
毎度のことながらこの時間に訪れる常連客 永野Aは、そんな質問を投げ掛けた。
店内に彼女の他にお客の姿はない。彼女と、店員の榎本梓と安室透の3人である。
待ってました、と言わんばかりに梓は食器を拭く手を止め、顎に手を当てた。
「えー、何でしょう?匂いとか」
『ブッブー、違います』
梓「んー‥、笑顔?」
『それも不正解です、』
楽しそうに会話をするふたりを視界に入れた安室は、ピカピカになった食器をカゴに置き水道の蛇口を左に捻った。
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「声、ですよね」
『正解です!』
安室の答えに、Aは嬉しそうに頷いた。耳につけたピアスが小さく揺れる。
「あーあ、また今日も安室さんの正解かぁ。もう、安室さんに知らないことなんてあるんですか?」
「ははは、偶々ですよ」
頬を膨らませた梓に、安室は人の良い笑みを浮かべて食器を拭くのを手伝い始めた。
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Aと梓による小さな井戸端会議は、お店が暇になる夕方の恒例行事になっていた。ブラックコーヒーが飲めない彼女の傍らにあるのは、安室特別配合カフェオレ。
Aが毎日持ってくる話の種は、興味深いものばかりで、次節開かれるクイズ大会のこれまでの正解者は、安室透ただひとりだ。
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「確かに。亡くなったおばあちゃんの声、思い出せないなぁ‥‥」
眉を少し下げて悲しげな表情を見せた梓に、安室はやはり柔らかく微笑んだ。
「人の五感で一番最後まで残るのは、耳だと言われています。死ぬ直前、目を閉じて何も見えなくなっていても耳は生きているらしいですよ」
『なので最後は、ちゃんと感謝の気持ちを伝えなくちゃ、ですね』
その通りです、柔らかい雰囲気をまとう彼女に安室は相槌をうった。
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作者名:ハル | 作成日時:2021年9月12日 0時