昨日の約束

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「北山だけど…」


ドア越しに聞こえるように、でも迷惑をかけないような声の大きさで答えた。

すると、ガチャりとドアが開き、小さな隙間から藤ヶ谷が顔を出す。


「なに？」


まだ寝てはなさそうだった。
隙間から見えた藤ヶ谷はワックスはついておらず、風呂上がりなのか少し髪は湿っているよう。
暑いのか胸元も少し開いていて。いつもと違いフレグランスの香りではなく、優しいシャンプーの香りが鼻を刺激した。



「ちょっと、誘いたいことがあって」


そう切り出すと、ドアの隙間は広くなり、入れば？とそのまま藤ヶ谷は部屋へと入ってしまった。
その背中を追いかけようと靴を脱ぐ。そこで気づいた。シャワーぐらい浴びてこれば良かった。居酒屋特有の油の匂い、タバコの臭いが染み付いている。ランチの時とは比べようにないぐらいこれが臭い。
入るのを躊躇していると、藤ヶ谷が眉間に皺を寄せて、こちらを見てくる。


「なに？入ったら…タマに悪いとか？」
「･･･臭いから、」
「は？」
「バイト帰りでタバコの臭いとか油の臭いで･･･」


藤ヶ谷の口から玉森の名前が出てきたけど、そんなことより自分の臭いのが気になっていた。


「ちょっと、シャワー浴びて出直してくるわ」


俯いて、自分の裾だったりを嗅いでいると、やはり臭う。
俯いてたから、目の前に藤ヶ谷が来ていたことなんて、気づかなかった。


「･･･んで、んな可愛いこと言うの？」


声が聞こえてきて、パッと顔を上げると、顎に指を添えられる。引き寄せられる。クイッと近くに。
顎クイってこんなに威力があることを今痛感している。


「臭くねーよ」


次の瞬間、何が起きたか分からなかった。
俺の唇は塞がれていた。藤ヶ谷の唇に。



息ができない。息の仕方がわからない。
思わず驚きから目を見開くと、藤ヶ谷の顔。
目を瞑っていて、鼻筋が通っている藤ヶ谷の顔があった。


やばい…
なにこれ･･･


好き、だ。
好き･･･


現在のおまえのこと1mmも知らないのに。
でも、好きだ。


心臓が有り得ないほど動きだして、動脈か悲鳴をあげている。


シャンプーの香りが鼻腔を通り脳を刺激する。


好き。
好き、


少しずつ、離れていく。


「大丈夫だから。上がって」


先をいく藤ヶ谷。


なぁ、こうやって他の奴にもしてんの？
あの女の子にも？


高鳴る心臓が逆にスピードを落とし、落胆を動脈に伝えていた。


何でもないような藤ヶ谷に。
悔しいから、自分も何でもないように返す。

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