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「、A?」
『あれ、千切君。眠れないの?』
「いや……そういうAこそ、寝れねぇのか?」
『ううん、私は喉が乾いただけだよ』
随分と思い詰めた酷い顔をしている、と一箇所だけ点けておいた食堂の光に照らされた千切君の顔を見て思いながら、口に当てたカップを傾ける。
誰にも会わないだろうと適当に歩いて来たので把握していなかったが、どうやらこの棟は彼等の居る棟だったらしい。
このまま放っておくのもなんだかなと思い、入口で佇む彼に『千切君も飲む?』と声をかければ、少し迷った後に小さく頷く。その返事に笑みで応えて、棚の中からカップを取り出した。
『何がいいかな? ホットジンジャーとかが私はおすすめだけど』
「あ……いや、生姜苦手だから」
『そっか。じゃあ、どんなのが良いとかある?』
「………Aと同じやつがいい」
寝る前に飲む物には出来る限り気をつけているので、絞られた選択肢に尚更何を出そうか頭を悩ませる。身体を温めるならホットジンジャーがおすすめと以前聞いた事を思い出して、仕切りから顔を覗かせて千切君に問いかければ、彼は頬を掻いて眉根を下げて笑う。
苦手なら仕方ない。他に無いかと聞けば、彼は少し気恥ずかしそうに私と同じものをと所望した。
『白湯です』
「白湯かよ」
『寝る前にはあんまり味の濃い物を口に入れたくなくて』
食堂の調理室までは立ち入る事が出来ない為、実を言うとそれ程レパートリーが無いのだ。生姜なども含めて、大した腹拵えにはならないだろうちょっとした調味料なら使える位置にあるが、流石に殆どの物は奥に保管している様だ。
蜂蜜と檸檬を中に入れるのが好きな飲み方なのだが、用意出来なかったので本当にただの白湯である。味気無いかなと思いつつ私が差し出したカップに視線を落とした彼は、一口含んで「ほんとに白湯じゃん」と笑った。
「……ん、でも何か美味いな。今まで飲んだ白湯の中で一番美味しい」
物思いに耽っているのか、少しの間呆けていた千切君だが、カップを両手で包み込んで暫くしてフッと小さく微笑んだ。お世辞だとしても嬉しい事を言ってくれる。ただお湯を沸騰させただけなのに何だか嬉しくなって頬が緩むのを感じた。
『ありがと。もっと美味しい作り方も知ってるんだけどね、私』
「へぇ、どんなの?」
『また今度作ってあげる』
『でも夜更かしは良くないからね』と注意すれば、彼は「はーい」と擽ったそうに間延びした声で返事をした。
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作者名:信楽 | 作成日時:2022年12月25日 2時