通り過ぎ去って dros磯部 ページ7
『寛之。』
女にしては低い声だった。
その誰も触ることの出来ない華のような美しい顔を持つ者の声だとは思えなかった。
まだ濡れている長い髪を靡かせて、彼女は裸足でやってきた。
「A。風邪ひくよ。」
『ひかないよ。あたし馬鹿だから。』
気持ちいい音を立て、俺の家にあったビールを勝手にあける。
いくら美しい顔を持っているとはいえ、俺は彼女の事が嫌いだった。
『寛之。あたしさ、やっぱあんたの事嫌いだわ』
「俺もだよ」という言葉を必死に飲み込んで、目の前に広がるゆらゆら光るライトで照らされた夜景を眺める。
『前ライブ行ったよ。やっぱボーカルの人良いよね。』
「来てたんだ」
わざわざチケットを取ってどうしてきたのだろう。
音楽に興味なんてないくせに。
『...でも、あんたのベースの音は好きよ。なんだか嫌な事も全部あの音が吹き飛ばしてくれるみたいで。』
最後の一口か〜、とビールを飲み干した彼女はこちらを見つめた。
まるで、『褒めてあげたよ。なんかないの?』と言うように。
昔から変わっていない彼女にどこか安心した。
「...まだあの人と一緒にいんの?」
『...えぇ。好きだもの。あの人の事』
『...でも良かった。殴られた跡が残らなくて。』
彼女は俺の頬を優しく撫でた。
それは、母の温かさでも、恋人の温かさでも、他人の温かさでない、何か『特別』な温かさがした。
「...あの人は危ないよ。」
『あんたに関係は無いでしょう?私はあの人を愛しているの。』
芯の通った声で、瞳は真っ直ぐ俺を捉えていた。
まるで雷に打たれたようだった。
彼女はそうだ。居るだけで雷に打たれるような気持ちになる。時に大雨を連れて。
酷い威圧感だ。
19人がお気に入り
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:真白。 | 作成日時:2021年4月14日 16時