【歌い手短編集】平成最後の夏は君と！ (ページ31)

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「A、そろそろ上がった方がいい」

プールサイドに上がって、制服を絞りながら彼女に帰るよう促す。

彼女はまだ気持ち良さそうに水に浮かんでいた。

「じゃあ、ちょっとだけ待って。すぐに上がるから」

「……早くしろよ」

すると彼女はもう一度水の中に沈んで、闇の中に溶け込んでいった。

余程気持ちが良いのだろう。少し水温が低いから、風邪をひかせないようにしてやらないと。ただでさえ引きこもりなんだから体も強い訳じゃないし。

と、そんな風に色々と思考を巡らせていると、彼女が一向に浮き上がってこないことに気付いた。

「……A？」

真っ暗なプールの中は透明ではなくて、Aが今どこに沈んでいるのかすら分からなかった。一気に背筋が冷たくなり、俺は「A！」と叫んで折角乾きかけていた制服が再び濡れることにも構わずプールへ飛び込む。

さっきまでAが居たであろう場所まで水を掻き分けるようにして進み、必死に彼女を探した。その時一度手に触れた肌の感触に飛び付き、細い体を抱き上げて一心不乱にその名前を呼んだ。

薄い月明かりに照らされたAの顔はびっくりしたように目を見開いていて、間抜けな表情だった。呼吸に一切の異常も見られない。

……生きている。そのことに馬鹿みたいにホッとして、ツンと鼻の奥が痛んで涙が込み上げてきた。

「そ、らる……くん？」

「っ……ばか、やろ……おまえ、死のうと、してるのか、って思……」

「あ……ごめん。長く潜りすぎた？ごめんね」

「ばか……しね」

「泣かないでよそらるくん……」

「泣いてねえ」

「うん……ごめんね、そらるくん。ごめんね」

すると、何故かAも泣いてしまった。

プールのど真ん中。

真っ暗で殆ど何も見えない薄明かりの下。

俺達はずぶ濡れで、みっともない格好のまま抱き合って泣いていた。

Aの口から何度も「すきだよ」と零れているのを、俺は聞こえなかったフリをした。きっとAは頭がやられてしまったのだ。この暑さに、この水に、この状況に。

(そうだ、きっとそうだ)

夏に酔う。

この涼し『気』な水槽に酔う。

君が死ぬくらいなら、俺が殺してしまおうかと本気で思ったことも、なにもかも全部、夏のせいだ。水飛沫のせいだ。

この恋は『欲』じゃない。この恋は、夏の酔いなんかじゃない。

「……帰ろう、A」

君は頷かなかった

○＊*『水槽漬けの君』*＊○