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短編小説、完結済み。
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「君、喀血を、」

 口唇の動揺を隠しつつ独り言染みて呟いて、榊が振り返れば、寝台の柵へ身を寄り掛けた田代の目は、じっと彼を向いていた。

「ね、実はそうなんだ。すっかり失念していた」

 言って田代はにっこりと、ただ微笑んだ。

「嫌なものを見せただろう、悪いね」

 けれど、無造作に浮かべられたそれは既に、物凄いばかりの、一片の含羞もないような媚笑、自身の全き麗美を知覚した上で、それを更に、無限にも表さんとする途上の笑まいなのであると、見てとれるのだった。ただ数分前の、あの少年としての朗らかさは、いつとも知れずに喪われ、代わりに煌々と鎮座するものは、人間の面輪がかくまでも微妙な円弧を描き出すものとは、とても思われぬような、未知の円満であった。

 例えばその雪白の皮膚は一点の曇りも無く、瑩々と輝かんばかりの、鮮彩な色艶を持ち、枕辺の欄干にしなだれて、ぐるりと細柱を抱く腕の曲線や、真ッ直ぐ柳腰から伸びるままに、軽く組まれた、洋袴のすらりとした脚は、えもいわれぬ品威を誇示して止まずに、「毛皮を着たヴィーナス」を彷彿とさせる、挑発的な無関心を象徴している。しかも、その極彩色の絶美は刻一刻と表情を変え、あからさまに肥大して行くのである。榊はそれに心を蕩かしながらも、畏怖のために呼吸さえ出来ないで、鷹に雀の通り、一切青褪め立ち竦んだままでいるばかりであった。だが田代の瞳が急き立てるように、なお捕捉して許さぬものだから、彼は意味を為さぬ言葉の数々を、口走らずにはおれなかった。

「いいえ、僕は、それは吃驚はしたが、君があんな__」
「……ほんとに、僕は君にすまなく思っているのだぜ。けれども死際の戯言だから、粗相もどうか、許してくれたまえよ、ネ、」

 田代が未だ凄烈に笑まいながら、軽佻な、しかしむしろ現実味を帯びて響く語調で言うのに、

「そのような事を、言ってくれるな」

 と、半ば反射的に口へ出してから、「俺は田代の死期をとうに理解しているではないか」と、榊は皮肉に思った。その、親友が滅びゆかんとする現状に、反発を試みる感情は、実際、純然たるものであった。しかし、それが確かであればあるほど、抗い得ぬものを、既に美から悟り切って、内々には諦念さえ抱き始めた彼には、余りに、言葉が浮薄なものと思われたのである。だが、後悔すると知りながらも、無理矢理言葉を続けるより他に、選択肢が無い事は、明白であった。

「悲観は止したまえよ。君ぁまだ、死ぬべき人間でもないじゃないか」

 田代はそれには応えないで、そうして妙に落ち着きはらって、

「マア、座りたまえよ」

 と、少しだけ顎をしゃくった。背の高い椅子は、じっとそのままあって、従った榊が、ぎこちなくも腰掛けると、田代は眩しそうに、すらりと目を伏せ、

「すまない」

 と静かに、寂しげに呟いた。長くなった睫毛の影は、頬迄も伸びるようだった。その清幽さのまま、小さく口を開いて彼は、普段から想像もつかぬような、孤独な言葉の使い方をした。

「僕が死んだらば、それは不利益を被ろうね、君は。レポートだのノートだのを写さしてくれる、都合の良い奴が居なくなっちまうのだから。さっき言った債務というのはこの事だろう、ね。僕あ全く善人だよ。頭がボンヤリしたあの時には、本当に、ちっとも理解ができなかったのだから。そうして、割を食うのだろう。人生は望まぬ事ばかりだぜ。羸弱と、人間と、麗美と? 君が何を思って僕の傍へいるのか、今になって、スッカリと解った気がするのだ。僕あ君の眼を見たのだ、榊君。僕にとって君が唯一であっても、君にとったらそうでもなかろう、ネ。何もが僕から離れて行くのだ__」

 すると田代は顔を上げて、榊の顔を覗き込んだ。眸子はどこか潤みを湛えて青く震えながら、黒曜石のように硝子質に澄んで、不思議に、何の感情もを表していなかった。榊はその瞳を向けられると、恥しさ悔しさに、ワッと声を上げて泣きたい程の気持ちに襲われた。田代の真鍮の様な笑みが消えて、「榊君、全体どうしたんだい。泣くんじゃない、みっともないじゃないか」と、困り顔に慰めてくれやしないか、なぞと期待をしても見たかったが、到底出来はしなかった。そもそも、凡そ涙腺すら働かぬまま、彼はただ叱られる小児の様にしどろもどろで、加えてがむしゃらであった。

「違う、違う。僕は、君を全く親友と、無二と思って止まない、そればかりなのだ。副次的な利益が何になろう。僕は単純に……、単純に君を愛していて、それで付き合っているのだ、離別を望むはずがあるかね、僕ぁ……」
「へえ、君はそんな、随分とつまらない事をいう」

 対して田代は、軽蔑するように冷淡であった。だのにどうして、疑念だの嫌悪だのの感情がその双眸へ無く、ただ清水の流れに似るのは、神妙であった。

「つまらなくとも、それが真実なのだから、」
「僕が誰であれど、君はそれを言ったろう?」

 そこまで詰られて榊は、漸く彼の振る舞いと、眼差しとの中にある、かのサロメをも思わせる残酷な挑戦を知った。声帯が友の内裏へ発見せられた凄惨にゆじゆじと動揺しても、彼は強いられて、歩を進めずにはいられなかった。いがんだ笑顔をも、試みることをした。

「……、なら、僕が、接吻でもしたら、信用するかい」

 その迎撃が、苦しく痛々しく掠れ聴こえるのに、挑発染みて田代は、

「出来やしないぜ」

 と、背をすんなり立て、人魚の絵画にある風に、支えるように蒲団へ両手を突いた。着衣と細首の隙間からは、無垢な皮膚が微かに、故意とも無意とも思えて覗く。眼を奪われながら、榊は椅子の上へ、刎頸を待つ者にも似て硬直していた。行動を取れば事情が好転するのだ、という無理由の思考を、救いのように胸へ抱きつつも、気息は奄々と、身体は膠着して、一厘も動かぬのだった。刺し貫く瞳は、虚無を宿して彼を尚投影する。総身は畏怖と焦燥に、冷水を浴びたかに凍え痺れ行って、ついには無感覚に氷り付くとも感ぜられた。



 途端、田代の繊弱やかな片手が、榊の目下を掠めてその襟首へ飛んだ。そうして品の良い、己の質量を支持するさえ心細気に見えた指先は、憎々しげに布地をぐるりと捻り上げる。暴力的な強勢が突如として現れるのへ、榊がアッと目を見開いたまま、まだ抵抗にも許容にも転じられぬ内に、田代は最早手中にあるその丈夫な体躯を、変わらぬ力量でグイと引き寄せた。思考能力の停止した中には、どの挙動もが緩慢に映ったというのに、榊は身悶えもならないで、ただはっと息を飲んだ。互いの肩がどんと打っつかって、不意に唇を押し当てられたのが判った。

 仄かな汗の香《か》は、麝香の郁々たる芳しさをもって、薄布の様に榊の上へ降りかかるのだった。次いで海蛇にも似た冷涼な電流の、ズウッと通う感覚が脊椎にある。直にそれは骨へ沁み血道に入《い》って、体の隅々へ循環し、恐怖とも恍惚ともつかぬ感情が、津波の様に押し寄せて首を絞め掛かる。瞼の裏へは日輪が赫々と光りまた消えて、どろりとした紅い、気泡を帯びた泥濘が、溶けるように晴れて行く。榊にとってはその、ほんの一刹那に過ぎぬ行為が、数十分でも数時間でもあろうとするかに思われた。肩に寄せられんとして未だ空いた両手は、癲癇の発作を思わせてわなないて、しかし諦めたように握られた。

 徐ろに、田代はその唇を離すと、榊の襟首を捕えたままに、窓から射し入った薄明かりへ無限に深く透過し、海水の冷艶と、油断した様な親密と共に宿す瞳でもって、明確に、彼の瞳孔の底を直視した。

「君は僕を忘れまいね」

 その眼光から現る、高圧的な程の威風に榊は、己から音声の出ない事を知って、ただ小さく頷いた。田代は、必ず答えを知っていた。そうして、人心地の付いたかに、爪も軽く、パッと友の身体を開放すれば、

「馬鹿だね、君は」

と婀娜めいて頭《こうべ》を傾《かた》げ、再び笑った。

 その微笑は既に、完全な芸術品、最早神仏のものとさえ、思われるようであった。榊は、ほんの先達てまで人間として振る舞った友人が、ついにその天分を凌駕し、上界の、数多の星雲へ飛び立たんとする瞬間を見た。或いは予感し、或いは確信しておりながらも、その様相は尚魂を蕩揺してならず、親友の死の床にも嗟嘆できないで、彼はその目を見開いた。

 柔らかに、無疵な弧線を形作るその顔容は、今では地上の、汎ゆる観相学の応用をもってしても理解のかなわぬ程に、異特な優《ゆう》を顕し、降り掛かる毛髪は一本々々が、孔雀の、尾羽の栄華にさえ遥かに勝《まさ》って、絢爛な色彩を帯びていた。完全な比率の元にあらぬ構成が表現された部分は一点と存在せず、薄い身体と、それを包む布の全ては、婉然とした陰翳を、天の羽衣のように纏って、いかに高名な画家であれども、夢想の内にすら掴み得ない色味を得、呼吸に僅かに上下することが、寧ろ不自然とすら思われる、火炎の如き眩さを放っている。愉悦のためでなく、楽観のためでなく、微笑のための微笑、視覚的芸術を試みた汎ゆる古人の、人世へ留め置かんとした、因習や道徳を超越した「美」が燦然と、そこにはあった。

 そうして、凄惨でさえあるその「美」を、哀れな身躯の内へ宿したまま、田代は二三度、名残惜しそうな瞬きをして、神通力の尽き果てたかに、ふうわりと寝台へ身を任せたのだった。無限の「美」は敷布の上にさえ、墨液を落とすように滲んで行くのである。

「Dich liebt’ ich immer, dich lieb’ ich noch heut’. Und werde dich lieben in Ewigkeit……」

 余りに截然たる発音によって、単語を一つ一つと連ねる赤珊瑚の唇の、鈍りゆく様。預言とも思しき神々しさを帯びたままに、響きの掠れ初むる様。

「Verweile doch!」

 傀儡と成り果てて榊が叫ぶや否や、友が瞳の浅き淵へ、いつか満々と溜った涙水は、ぐらりと蕩揺した。映り込んだ満彩の影が伴われて掻き乱れ、膨らんだただ一粒は、水晶の様に瞼の内より流れ出でる。そのまま眼尻《まなじり》から濡れ光る軌跡を遺すと、やがて敷布へ丸く弾け散るのである。けれど元からは、盛んに銀粉の波紋が立ち昇って、それらを静かに呼吸するを最後に、田代は瞑目した。

 その睫毛《しょうもう》の内に鏤められて天陽を受く、粉々と砕けた滴《てき》の玲瓏を、誰か知る。

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*つむり*(プロフ) - えへ、小学生??とても年下には思えません……()私が六年生のころなんて分かりづらい、批判されるような台本書きの小説しか書けませんでした…… (1月25日 19時) (レス) id: 7765cad915 (このIDを非表示/違反報告)
ここりどらす(プロフ) - *つむり*さん» アワワ…、古い小説を継ぎ接ぎにして書いてるだけです…。今年で六年生になります…。 (1月25日 18時) (レス) id: cbd10deffb (このIDを非表示/違反報告)
*つむり*(プロフ) - 一部だけでも知らない単語が多すぎる……、とにかく言いたいことは、語彙の幅が凄いですね!失礼でなければでいいんですが、年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか? (1月24日 22時) (レス) id: 7765cad915 (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:橋下野苹 | 作成日時:2020年9月6日 15時

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