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| CSS この文書、それに付属する日記と思われるものは2XXX年、ニューヨーク郊外の納屋と見られる瓦礫の下から、筆者と思しき若い男性(文書の内容、親知らずが生えそろっているため20代以降と推定)の遺体と共に発見された。
死因は隕石落下直後に流行したウイルス(PETS20)と見られている。
男性の遺体は現在、セントラルパーク跡地に建設された共同墓地の見晴らしの良いところに墓碑を建設し、その下に火葬した上で埋葬されている。

この文書を、災害を必死に生き抜いた男の存在証明のため、我々人類の今後のために、ニューヨーク災害博物館にて常時展示されるものとする。


以下に本文を記載するが、インクがところどころかすれているので読み取れない部分は…で表記するものとする。
(※)は注釈である。



※以下本文
ひどく空腹だ。

時間の感覚ももう狂っていて、何日間過ごしたのか僕にはわからない。
厚い、厚い雲に太陽が隠れている。
もうあの光を見ることは出来ないのだろうか。

書き留めておかねばならない。
僕はもう永くはないし、正直なところ、これを書き上げることすらできないかもしれない。
だが、今死んだらきっと誰の記憶にも残らない。それは恐ろしいことだ。
だから、最後まで書き終えねば。

もし人類が滅んで、これが発見されなかった時のために、似たような文面のものをこれを書き始める前にネット上のあちこちに残してある。
僕達の後に高い知能を持った生物が生まれ、見つけることを願うよ。

ことの始まりは推測だが一年と半年ほど前だ。
それは唐突に始まった。それと言うのはつまり、あの隕石落下のことだ。
始まってからしばらくは、人々は何も知らなかった。
小さな揺れを感じた人も居ただろうが、数時間は世界は明るく、今までと変わりのない生活を送れたのだ。
僕は確か、仕事を終え、買い物をして家に帰るところだった。
面倒くさかったその買い物をとてつもなく羨ましく思うなんてこと、僕には想像もできなかった。インスタント食品の値段とにらめっこしていたムダな時間が、この上なく貴重なものに変わってしまうことも。

始めに変わり始めたのは空だった。
鮮魚コーナーに長居をし過ぎたか。始めはそう思った。外は暗く、まだ7時だというのに真っ暗だった。なんだか風が冷たくて、天気が変わったのか、雨が降ったら困るなぁ、そんなことをぼんやりと考えていた。
政府から情報が解禁され、これが隕石によって巻き上げられた『ちり』によるものだと知るのはまだ2、3日先のことだ。
人々は不審がっていたが、まだそれほど慌ててはいなかったように思う。

僕はその日から珍しく休暇を取り、しばらくは家で静かに過ごす予定だった。
読む予定の本も借りてきていたし、食料の買いためも十分だった。地震、その他災害の時のための持ち出し袋も完備だ。
引きこもる準備はできていた。
ひょっとすると、外に出て人と会わないことが、僕を救ったのかもしれない。

ネットでは大騒ぎだった。
ヨーロッパで大火災が起きてるとか、隕石が落下したとか。
テレビでも、新聞でも、いかなる情報発信機関でもそんなことは報道されていなかった。
掲示板で隕石の話をしている人はたくさんいるのに。
妙な感じだった。

しばらくして、ネットは締め付けられた。
詳細は分からない。恐らく、混乱を防ぐためだろう。

それから丸1日、僕は室内で静かに過ごした。
と、不意にテレビの音が途切れ、画面が切り替わった。
大統領じきじきからの非常事態宣言だった。
僕はここではじめて、ことの真相を知るのだが、どうやら全容はネットで騒がれてたことと同じらしい。
隕石が落ちた。それだけのことだったが、この事が今後にもたらした影響は大きかった。

7月なのに肌寒かった。
窓から外を見ると、やけにどんよりとした真っ黒な雲が暑く垂れ込めている。
太陽は、見えない。
外がやけに騒がしいのは、デモが起きていたからだ。
なんのデモだったかは覚えていない。
それだけ興味のないことだった。

それから10日ほど過ごしただろうか。
休暇は残すところあと1日となった。
5日目に買い物に出掛けたが、棚は雑然としていて、缶詰めやインスタントラーメンなどが雑然と入り口付近に並べてあった。
金は持っていた。だから、たくさん買っておいた。
ベーコンやソーセージ、保存の効く根菜類。
缶詰めを買えるだけ、乾パンと米も。
この天気(?)が長いこと続くなら、食べ物は買えるうちにかった方が良い。
そう考えている人は僕の他にもいるようで、皆焦ったような顔をして機械的に缶詰めをビニル袋に詰めていた。

恐らく、38日目。
あれから2回ほど買い物に出掛け、食料を蓄えている。
休暇は終わったが、連絡もないし行く気もない。
この頃は何が起きるかわからないので日記をつけていた。
病が流行り始めた。どうも未知の病原体らしく、その源はいまだに分かっていない。
また引きこもっていたからよくは分からないが、外から子供のものであろう泣き声が聞こえてくる。罵声や、悲鳴も。これらの他には、もうほとんどなにも聞こえない。
太陽が見えないことも無関係ではないだろう、誰もが鬱屈としていた。

初期症状が咳やくしゃみなどの軽いもので、悪化して気づく頃にはそこら中にウイルスをばら蒔いているらしい。
病気になったら取り合えず医者に見せろ。
幼い頃から刷り込まれているものが、人を病院へ向かわせた。
大病院は病人の山だったらしい。

当然、病気は感染るわけで、適切な処置を施そうにもどんな病気か分からない、それを研究する研究者がほとんど感染していて、研究が不可能になる事態だったらしい。
そうこうしてるうちに、病人の山は死体の山になった。
実際のところはどうだったのか分からないが、情報規制のない数少ないサイトのうちの1つからの情報だ。僕にはきっとそうだったと思うことしか出来ない。

それから2ヶ月は、不気味なまでの静けさの中、一人で過ごした。
缶詰めが冷たかったのを覚えている。

[※以下日記と思われる付録一枚目から引用]

70日目。
電気が止まった。
恐らく先の伝染病が原因だろう。
2ヶ月も誰が動かしていてくれたのだろう。
これからは、ボンベを買って加熱せねばなるまい。食料も底を突きかけている。

72日目。
久々に外出をする。
目的はボンベを買えるだけ買う。
食料の補給
外の様子を見る。
いくらか缶詰めと米を固めたもの(※)をもって行く。

※おにぎりかと思われる

[※以下本文]

外は閑散としていた。
死体も、その辺に転がっている。
だが、まだ生きている人もいるようだ。
友好的ならいいが、敵対されたら困るので、誰かが使っていたであろう血の付いた鉄の棒を携行した。

1つ目の店にはあまり良いものがなかった。
スイートコーンや赤い豆の缶詰めが二つ三つ転がっているだけだ。リュックに詰めた。
ガラスを破った跡がある。誰かが好き放題したのだろう。
まぁいい。元々そこまで期待してはいなかった。

だが、期待していたような店はいっこうに現れなかった。
詳しく言うなら、これから先ずっと。

初めて本格的に飢え始めたのだ。


仕方がないので、だれもいないであろう家屋に片っ端から侵入した。
たいていは干からびた野菜や、ジャムや鍋に残ったおかゆのようなものしかなかったが、たまに冷凍されたブロック肉や、じゃがいも入りの大きな袋が見つかることもあった。
空腹は人を狂わせる。全くその通りだった。
その頃はもう、盗みを働くことに何の後悔も疑念も抱かなかった。
病院に行くこともできずにベットで抱き合って死んでいる親子を見ても、なにも感じなかった。

そんな生活が長いこと続いた。
詳細な期間はわからない。
というのも、空腹をごまかすためにずっと眠っていたし、時間の感覚も狂っていた。
一年間だったようにも思うし、二、三ヶ月だったのかもしれない。
冒頭に『推測だが〜』と書いたのはこのためだ。
いよいよ食料もなくなり、自分の家から移動することを余儀なくされた。

ハドソン川を遡り、何日かかけてある農場にたどり着いた。
農場に行けば食料くらい見つかると思っていたが、そうそう上手くは行かなかった。

太陽の光を浴びないせいで、ろくな植物は育っていなかった。
痩せこけた牛が何頭か、草のない土を食んでいた。締め付けられたような鳴き声がする。
建物の戸を開けると、卵を生んでいたであろう雌鳥が静かに横たわっている。
皆シメて食べてしまったのだろう。ダメになった死体以外は何もない。
悪臭がする、吐き気を催したが吐くものがなく、透明な胃液だけが出た。
胃が痙攣した。


どうにか生き残っていたであろう草をむしり取って食べる。
固くて苦い。
だが数日間泥水の食事しかなかったから、最上級のごちそうに思えた。

ところで、[以下五センチほど紙が切れている]


[以下日誌と思われる付録二枚目から引用]

…日目

最悪だ。
朝から熱が止まらな…………
意識…朦朧とし…
………??
僕も………のように死んでしまうの…………???
こわい

………(※日付?)

リュックの……から食料…発見
悩んだがいざ……う時のためにとっておく。
……が下がらない。
寒い。手紙を……だけの気力がない。

………(※日付?)

熱はあるが意識ははっきりしている。
昨日から時々、幻覚が見える。
高熱のせいか、それとも精神を病んでいるのか。
なんにせよ、先は長くない。急ごう。

[※以下本文]

幻覚はだいたい幸せなものだった。
夢だったのかもしれない。わからない。
母が作ってくれた特大のケーキが出てきた。
こってりとクリームの乗ったチョコスポンジのフルーツケーキだ。
手を伸ばして、取ろうとする。
土の塊が砕けた。

ぼんやりとポートランドに住む家族を思い出した。
電話は混乱し、すぐに使えなくなったし、家族は誰もメールを使わない。
今更後悔したって遅いだろうが、マメに連絡をしておけばよかった。

もう何日も声を出していない。
人なんて、何ヵ月も見ていない。

お腹が空いて死にそうだった。
何日も何も食べていない。胃が空っぽで、なにかよこせとピクピク動いた。
きっとこれから食べるものが最期の晩餐(?)になるだろう。
ワインとパンってわけにはいかないし、弟子もいなかったが、コーン缶と鶏の水煮の食事で幸せな気持ちだった。
たったこれだけの食事で、僕は生気を取り戻し、ずっと蝕まれていた飢えを忘れることができた。


今、意識を保っている間に書いておこう。
この手紙を見つけるのは生き残った男(か女)、もしかしたらはるか未来のイキモノかもしれない。
だがこれだけは覚えておいてくれ。
僕は闘った。

病気と、孤独と、災害と。
これを見つけた誰かもきっとそうだろう。
生き抜いてくれ。
これは僕からの最期のお願いだ。
必ず生きて、誰かに伝えてくれ。
人は忘れることの方が覚えることより何倍も得意だ。
もし人類が復活しても、このまま何もしなかったらきっと何冊か本が出て、それだけで終わってしまう。
誰も何が起こったかなんてて考えずに、ゆっくりと人々の記憶から消えていってしまう。

忘却は死よりも残酷だ。
人々が僕が、どれだけ苦しんだか、絶望したかが忘れられてしまうなんて耐えられない。

世界がどれだけ平和になってもどれだけ明るくなっても突然に当たり前の生活がなくなってしまうことを忘れないでくれ。

お願いだ。忘れないでくれ。





…………………(※署名? 解読不可能)









※この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体とは一切関係ありません。
※コメント欄にて捕捉あり

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ひつ(プロフ) - 黒羽 ルナさん» ありがとうございます! (2016年4月14日 12時) (レス) id: 64acc73314 (このIDを非表示/違反報告)
黒羽 ルナ - 紹介ありがとうございました!読んでいるととても「次はどうなるかな?」と気になり物語の中に吸い込まれました♪ (2016年4月13日 23時) (レス) id: 3428a84a4c (このIDを非表示/違反報告)
ひつ(プロフ) - 奏葉さん» 全然上からとかじゃないです、凄く嬉しいですありがとうございます! (2016年4月10日 21時) (レス) id: 64acc73314 (このIDを非表示/違反報告)
奏葉(プロフ) - 素晴らしい文章力ですね!これからも素敵な文章を沢山お書きになって下さい!影ながら応援させて頂きます。あ、なんか上から目線になってるかもしれません…!申し訳ございません! (2016年4月10日 21時) (レス) id: 28b2dcf9a2 (このIDを非表示/違反報告)
ひつ(プロフ) - 100ヒットありがとうございます! (2016年4月9日 11時) (レス) id: 64acc73314 (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:ひつ | 作成日時:2016年3月24日 13時

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