陽光に溶ける

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「驚いた」

鶴丸国永は、唖然として口元を覆った。

「きみと、彼奴がなんでここに居る？」

思い出すのは、献身な懐刀。
今は政府のものとなった鶴丸国永がかつていた本丸は、悲劇だった。審神者が呪われた。死に至らしめるほどの凶悪。
しかしそこを懐刀が救ったのだ。真名を利用し審神者の霊力を奪い、呪いを全て肩代わりすることで。
懐刀は、それまでの天真爛漫な様子はすっかり鳴りを潜め、荒々しく、鋭くなった。堕ちた。審神者は衰弱し、かつ霊力を失ったことで全てを忘れた。
後に、彼女の功績を恨んだ他本丸の審神者からの嫌がらせというには惨(むご)すぎるそれだったと判明した。

本丸は当然のように解体。他の者に仕える気はさらさらなく、かといって折れてやるのも癪で政府のものになることを決めた。懐刀は、と聞けば政府は黙秘だと。

止めてやることもできた。問い質したかった。けれど。

無粋だよなァ、と鶴丸国永は天を仰ぐ。
空からはひらひらと桜のはなびらが注いでいた。

ちょっぴり変わった乱さに。乱藤四郎が大好きです。
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花の刀の忠誠

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「ばかみたい。まるで、……」

彼が呟く言葉尻は、ほわりと口から煙る白い水蒸気に掻き消された。私も私で態々何て言ったのか問おうとは思わなかったので、等閑にしながらなんとなく歩を速めた。空も地も境目なく白に染まっていて、この世界の中で唯一彼の色だけが眩しい。
もうすぐに雪が降る。

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刀剣男士、と教えられたとき、私がいの一番に抱いた感想は"どこぞのマンガ？"だった。刀の付喪神、かみさま。審神者の霊力により隆起し、主と仰ぎ、審神者の名のもとに歴史を防衛する。ジャンプでありそうな設定だ、と現実味が無さ過ぎて耳を上滑りしていく説明。ほぉ、へぇ、ふぅん。成程、と若干適当臭くみえる相槌を打てば、彼は「生意気」と私の鼻先を摘んだ。

「小娘ごときがボクを軽んじるだなんて、いい度胸してる」

ゆら、と彼が纏う雰囲気が変わった。ゆら、ゆらゆら。真っ黒で、粘ついていて、泥濘んだオーラが、彼のヒールブーツから込み上げてきて、蛇のように昇っていく。噎せ返るような甘ったるい匂い。それは、深淵からの誘い。身も竦む畏怖に襲われるが、されど目を離し難いほどに妖艶で、馨しかった。
禍々しいというには美しすぎて、美しいというには穢れすぎている。妖(あやかし)い笑まいをうっそりと見せる彼は、本当に神様なのだろうか？
この間、一寸も身動ぎが出来なかった。圧倒され、息も吐けない。ぶるぶる震える臆病な私の手足を、涙袋を膨らませて弓を描いた鮮やかな海色で見つめた彼は、「次は無いから」と吐き捨て、悪夢のようなオーラを潜めさせた。

私は、確かに、春中(はるなか)に居たのだ。極彩色のはなびら。煌く伸びやかな笛の旋律。立ち並び爛漫に咲き乱れる桜の樹。蜜がたっぷりと垂れた櫛団子を購入して、悠々と、先んじてパーティーを始めているであろう家族の元へ、戻ろうとした。周囲の喧騒に顏を綻ばせる。桜祭りが一年の中でいっとう好きだ。この賑わいが好き。浮足立ちながら、歩を進めようとしたその瞬間、私は冬に居た。
唖然として、逡巡。遅れてやってくる凍てつくような寒さ。はらはらと落ちてくるのは、はなびらの如き牡丹雪。寒すぎて鼻の奥が堪らなく痛くなって涙が出た。その涙さえ凍らせんとする大気。どこもかしこも白い。天地が逆さまになったって気づけない、と思った。耳の痛くなるほどの静寂だった。
混乱の最中、崩れ落ちた。何が起こってるの、と何度も胸中で呟いて、膝元まで覆う粉雪の中に身をうずめたとき、私は、妖精を見た。

しっとりとした雰囲気を纏う、妖精。
春めいていながら、その様子は、怖ろしい。飲み込まれてしまいそう。

「……物好き？随分と静かな自i殺だね」

がたがた、痙攣する私を妖精さんは見つめた。すらりと伸びる曝けた腕が目に毒だった。
ふわり、ひらひらと牡丹雪が旋回する。甘いひと房にはなびらが乗っかった。妖精さんはそれを払い除けようともせず、「無様」と吐き捨てた。毒々しくて、斬り付けるような鋭さ。一閃。冬よりも冷たい海色の瞳に私を映して、内緒話のように囁いた。

「ねぇ、お名前教えてっ」
「……ぁ、え？」
「いいからとっとと教えなよ。死にたくないでしょう？」

早く早くと、苛立ったようにまばゆい眉間を顰める妖精さんに急かされて、凍える唇でなんとか「YOU。わ、別杜YOU」とからがらに言った。
ふうん、と海色を贅沢な睫毛に隠した妖精さんが私の名を呼ぶ。次の瞬間、びっくり、私は元気になった。

それが彼との出会いだった。

蕩けるような御髪、薄香色。毒気のある爛々と水光する海の瞳。桃に染まった可憐な唇。気品のある佇まい。みだれとうしろう、と吐息する。白い煙に溶けていく。刀工、粟田口吉光の打った短刀。彼の刀の中で類稀なる、乱刃。
彼の異質さに酩酊するあまり、手にしていたはずの団子の存在をすっかり忘れていた。「それ、いいの？」と聞かれて、一体何のことだろうと彼の伸ばされた指先を目で追うと、雪の中に埋まった茶色いのを見つけた。櫛団子は凍っていた。ショックだった。

私は乱に連れられて、否、連れまわされて、色んなところを廻った。
そこは春だったり、夏だったり、秋だったりした。どれもこれも美しい所だった。
私は、時折行く先でこの世のものとは思えないほどに優美で美しいひとを見た。彼らは一様に得物を指している。乱にきいてみたら、「あれが刀剣男士」と吐き捨てるように言われた。ああなるほど、神様だ、と得心が行ったのと同時に、乱の様子のおかしさにも気付いた。彼は、禍々しすぎている。刀剣男士達を真昼とするなら、この乱は真夜中だ。夜を纏った刀。

「おまえ、雛鳥みたいだね。ボクのあとをうろちょろしてさ」

雛鳥、といわれてポカンとしたが、ややあって気づく。生まれたばかりの雛は一番最初に見たものを親だと認識する、らしい。
これには反論せざるを得ない。私の宛ては乱しかいないから、彼に着いて言っているのであって、別にそういった刷り込みによるものじゃない。それに、乱は言ったのだ。「ボクの言うことを聞いてくれるなら、一緒に元の世界に帰る方法を探してあげる」、と。
口を返そうと思ったが、留まった。今度は絶対に、最悪に乱されてしまう。
それに。なんだか、乱はひどく満足そうな顔をしていたので。

この世界に来てから6日経った。
すっかり私は慣れてきていて、"今日はどこにいくのかなあ"と悠長に期待を膨らませていた。そんな私に、乱はいう。「間抜け面」純粋な悪口に閉口しつつ、なんだとと頬を膨らませてみれば、「フグみたい～～」とつつかれてぶしゅうと空気が抜けていった。
今日彼に引率されたのは、春だった。
爛漫に桜が咲き乱れる。蕩けるような極彩色。桜祭り。一年の中で一番好きな日が、そこに広がっていた。

「どお？おまえが居たところの桜と、どっちが綺麗？」
「どっちも……」

妖艶すぎる笑まいを浮かべる乱。絵にもかけない美しさに私は心奪われて、彼に見入ってしまった。きらきらとやわらかな陽光にラメを放つ睫毛。しっとりとした雰囲気。深く毒気のある海色。
彼は夜桜のごとき刀だ。
どっちも、との答えに、「このボクが居るんだからこっちでしょ、審美眼ないなぁ」と呆れ果てた嘆息をしつつ、当然に絡めてくる腕に応えた。賑わう人並みに心を躍らせながら、この世界の桜祭りも堪能できるだなんて私は幸せ者、と浮かれた足取りで進む。

喧騒の中で、甘い色を見つけた。
ひだまりを彷彿とさせるような、薄香色。常春の煌き。見覚えのありすぎる姿に、思わず隣を振り向くと、彼は忽然と消えていた。え、と吐息が滑り落ちる。
再び漣の中でも、背が低くとも、いっとうの煌きを放つ春を体現したかのようなそのひとに目を向けると、流石刀剣男士、即座に気づいて、視線が絡み合う。澄み切った、海色。乱藤四郎だった。
侍っているのは彼の審神者だろうか。アイドルのようにぱちんとウインクをくれて、彼は再び前を向き、枝分かれした別の道へと入っていった。

まったく別の刀のようだった。同じ乱藤四郎だというのに。
とくとくと早まる心臓を無意識に抑えようとすれば、それよりも早く手が伸びた。紛れもない、彼だった。

「移ろったでしょ。隣にこのボクを侍らせておきながら」
「そんなこと、」
「気になる？逆に今までどうして聞かれなかったのかが不思議だったんだけど……」

刹那、風に浚われてはなびらが千切れるまでの時間をおいて、乱は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「ボクは、堕ちてるの。堕ちた刀剣男士。この身に宿るのは穢れ」

いくら手を伸ばしても届かないような表情。自嘲。嫌悪。
彼にそのような顏をさせてしまったことを、私は強く後悔した。

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絡みつく腕の力が、微かに弱まった。そのことを確かめながら、私は乱と共に桜を見つめる。

「ボクのこと、考えて。沢山。そして乱れてよ」

そう言い放った乱は、まっすぐに私を穿った。その鋭さと切なさに、息を止める。
溢れるほどの桜吹雪。浚われてしまうのでは、と思うが、彼は変わらずそこに立っている。

「ここで待ってて」、と言い残し、とりわけ見事な桜の樹の前で、私は取り残された。
なんだか堪らなかった。水浸しの吐息。ぎりぎりと胸を締め付けられて、気を抜くと涙が出そうだった。不明のしんどさに目を瞑る。瞼の裏に焼き付くのは、真っ白な世界で唯一鮮やかに染まっていた彼の色。

意識を飛ばしていれば、軽い衝撃が走った。その事を脳が受け止める前に、鋭い痛みが走る。「きゃ」、身じろぎもできない。拘束されていた。
瞳を開ければ、そこには、雪の神様が立っていた。私の腕を捻りあげている。失声しながらも、叫ぶ。

「君、穢れてるな。歴史修正主義者か？」

絶世の美男子。精緻に作り込まれた白い顔。英知に煌く蜂蜜色。

「……いや、これ刀か？なあ君、まさかとは思うが堕ちた刀と一緒に居たりするかい？」

話しはまるで世間話をするかのように軽妙だが、纏う雰囲気は固く、有無を言わせない。堕ちた刀、と言われて閃かないものはなかった。乱。けれど、と震える喉を確かめながら、思う。乱が堕ちていると知られたら、それは乱にとって、良くない気がした。
乱が悲しむ顏は、見たくなかった。あの子を傷つけたくない、と思った。
だから、首を横に振る。蜂蜜色が疑いに細められる。が、刹那、見開かれた。

「きみ…………主か？」

時が止まった気がした。桜も何もかも、動かない。裂けた眦が、私を凝視する。
主？耳を疑った。主、審神者。あなたの？私が？異世界から飛ばされてきた小娘を、美しいひとはそう呼んだ。
白い雪の神様。煌く蜂蜜色から、なにかがあふれ出しそう。

私達の静謐な永遠を低く遮ったのは、宵を纏う乱れ刃だった。まばゆい一閃が光り、私の腕は解放される。雪のひとは瞬きの速度で後ずさった。

「やめて」
「お前、おいおい嘘だろ？」
「触らないで」
「陸奥の、乱藤四郎」

ぎり、と乱が奥歯を強く噛み締める音がした。乱藤四郎、と空気を震わせた音が耳朶に届くや否や、「行くよっ、あるじさん(・・・・・)！」と弾かれるように走っていく。
引きずられるようにして駆ける中、茫然と私は振り向いた。雪のひとは、追ってこなかった。

気付いた時には、冬に居た。ゆるり、ひらひらと舞う牡丹雪。一歩進むたびに粉雪が舞う。天と地の境目がわからない。一面の白。
彼と初めて出会った頃の、と思い当たるのに時間は要さなかった。

心もとなくゆれる薄香を私は見つめた。さっきから涙が止まらなかった。ぼたぼたと溢れて、白に吸い込まれていく。頬が凍り付かないのは彼の加護のお陰かしら。

「ボクは、我儘だから」

ざぶざぶと雪を掻き分けて、暫くして止まった。みだれ、と先程から何度も口の中で転がした彼の名を呼ぶ。みだれ、みだれ。お願い、教えて。

「私と、みだれは、何。私は、あなたの、何？」
「……困らせるだけってわかってても、最後にあなたに会いにゆきたかったの」

あるじさん、と彼の呟きが雪に交じる。そのことに息を止めた。

次の瞬間、彼は血を吐いた。

「乱！！」

赤が雪の上に散らばる。甘い髪が乱れ落ちる。慌てて彼の元へ走って、抱えた。ゆるい律動と体温が伝わってくる。みだれ、と彼の頭を抱きかかえれば、海色が甘やかに私を見つめた。熱。激情が駆け巡る。
びくり、と彼は痙攣して、血を吐く。鮮やかに染まっていく。

「あのね、約束したの、ボクだけは覚えてるんだよ」

喘鳴に乱はそう紡ぐ。もう大丈夫だから、あなたが辛いなら喋らなくとも、と叫んでしまいそうになるが、彼の瞳の温度に言葉を飲み込んだ。代わりに、耳を澄ませる。

「桜祭り、行きたかったの、他でもないあるじさんと」
「……みだれっ」
「あるじさん」

やわらかな陽光が当たる。乱のまろい頬の輪郭を照らす。
雪景色を陽が照らした。

「みだれ、私……っ」

言葉が溶けていく。
ひらひら、雪が舞う。その白さは、刹那にして薄桃に色付いた。
なだれ込むような記憶の放流が、止まる。ぼたぼたと落ちた涙すら、風に拭い去られる。

気付けば、私は祭りの喧騒の最中に居た。

漣の中で、何かを探している。

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